時代の変化に呼応する

意識・無意識・プログラム

春分の日が目の前に迫ってますね。
何かの変わり目を感じるのは
私だけでしょうか。

世の中には
そのときどきで
流行りというものがあり
最先端だと思って
得意(?)になって取り入れていたものが
あとで振り返ってみると
「なんであんなに流行っていたんだろう」
とか
「なぜあれがまかり通っていたのか」
と思うことって誰にでもあるのではないでしょうか?

その時のその場にいると
当たり前すぎて
何の疑いもなくやっていることが、流行りに限らず
たくさんあるように思います。

例えば自分の学生時代
教師が生徒を
体罰という名目で
叩くということは
「当り前」
という空気がありました。

結構、激しく
男子は突き飛ばされたり
張り手打ちされたり。
それを見て、
怖いとか、痛そうとは
思いましたが
先生が悪い、という発想は
一切持っていませんでした。

今なら、やりすぎだとか
他のやり方はないのかとか
感情に任せているだけでは
という発想が先に浮かびます。

ある文化人類学者が
「世の中の非常識は
それに名前がつき
ある程度の人数にその名前が認知されると、
それが一般化されやすくなる」
と言っていました。

「教師が生徒を叩くのはパワハラ」
だという名前がつき
それがある程度の人数に認知されると
「それはしてはいけないことだ」
という世間の空気が優勢になり
生徒を叩く行為が減っていくのだそうです。

今は
当たり前になりすぎて
自覚できていない
習慣や行動が
10年後は非常識になっているかもしれません。

特に歴史というのは75年周期で
大きく変わる節目があると
言われています。

2021年の75年前は1946年
終戦の翌年です。
(ちなみにさらに75年前は明治維新)
今は歴史的にみると
大きな節目の渦中なのかもしれません。

自分の中に
世の中の概念や一般常識という枠の中で
考えていることはないでしょうか?

そんなことに意識を向けていると
大きな変化の流れに
飲み込まれずに
冷静な判断ができるのかもしれません。

ではね!

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Springs of Words 真辺詞緒梨(まなべしおり)

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