「見返りを求める思考」の先にある意味

意識・無意識・プログラム

みなさま こんにちは

いつもお読みくださり
ありがとうございます。

冷水シャワーのことを書いた記事の中で
冷水シャワーをすることで
心のどこかで
見返りを求めている
という話をしました。

今日は「見返りを求める思考」を
さらに分析してみたいと思います。


見返りを求めているとき
自分は何かを
「アテにしている」
気がします。

アテにしているということは
自分の生き方は
自分以外の何かで決まる
と思っているように感じるのです。

「○○をすれば幸せになれる」

「○○があれば大満足」

「○○のいうことを聞けば大丈夫」

こんな思考が
潜在意識と顕在意識の間で
点滅しているように感じます。

この状態でいるということは
その“何か“や“誰か“によって
自分の人生の安定や
安心が決定づけられることに
なってしまいます。

それでは非常に不安定な
心の持ち方になってしまうのです。

その誰かが
急に廃業して
相談できなくなったら
どうするのでしょう。


「あなたが大丈夫って言ってたから
信用してたのに!」

「役に立つって言ってたから
続けてたのに!」

と言って自分の人生を
誰かのせいにするということは
その誰かが
自分のコントロールの舵を
握っていることになります。

むちゃくちゃ
不安定ですよね。

アメリカと日本の
関係みたいです。

自分で決めているようで
何一つ自分では決められないと
だんだん
そこにいる構成員(国民、自分で言うならば思考ですかね)
は諦めてただ従うようになります。

見返りを求める思考は
外部の何かに舵を渡している状態です。

何かに操縦してもらうことは
楽ですよね。

それを否定することではないと思うんです。

でも外部の力を借りるとき
「行き先知らないんですけど」とか
「目的地はお任せします」
というのは
非常に危険で無責任だということだと思うんです。

何かをするとき
誰の力を借りても良いし
何を使うのも自由なのですが
それも自分が選択している
という意識を持つことが
大切だと思います。

その上で
「自分が責任を持つ」
という意識を持つことを
忘れずにいたいと思うのです。

ではね!

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