メジャーがいいって本当ですか!?

意識・無意識・プログラム

先日、娘の学校の人文社会学の先生が、
「よく映画のキャッチコピーで
『全米ナンバーワンヒット』とか『1000万人が泣いた』って
あるじゃないですか。
あれを見てすごい映画だと思って
観にいくと自分はあまり感動しなかったってことありませんか?

大勢の人に良い映画というのは
誰でも理解できる内容にする必要があって
そうするとどうしても内容が浅くなるんです。
パターンの中にあてはめないと
理解してもらえないから
ひな形通りに作るわけです。
パターンに慣れた人たちには
面白くもなんともないのだけれど
家族全員で見てもらえれば
興行収入も二倍三倍になる。
そのほうが手っ取り早い。
欲だけで制作すると
そういうことになるんです」
ということをおっしゃっていたそうです。

メジャー信仰って
世の中に根強く存在しているのではないでしょうか?
つい大勢の人が良いといっているものは
良いものなんだという
思い込みがあります。
映画でいうならば
どこかで「1000万人が泣いたのなら私も泣かなきゃ」とか
「この作品は面白いはず」という先入観で
つい見てしまいがちなのです。

それは小さなグループでも起きる現象です。
6人くらいで食事に行ったとき
ある強い人が「ハンバーグがいい」というと
自分はエビフライを食べたい気分だったけど
ついその人の意見に流される。
出てきたハンバーグを食べながら
心のどこかで
「エビフライが食べたかったな」と思う。

こういうことを繰り返していると
自分が本当に食べたいこと、やりたいこと、
好きなこと、嫌いなことが
わからなくなっていきます。
心のどこかで思っている本当の願望が
意識層に浮上してこなくなるのです。
そして、なんとなく人に流されて
自分も好きな気になってみたり
嫌いになったりを繰り返します。
意識層には浮上してこなくても
無意識層では本当に自分がやりたいことではないと
わかっているので
無意識的にストレスがたまります。

では心の声はどうしたら聴こえてくるのでしょうか?

それにはまず
目の前に起きていることに
冷静な判断をする自分を作る必要があります。

人はつい、いつものパターンに
流されてしまうのです。
あるものを目にすると
自動的に反応するものなのです。

それは今まで生きてきた中で
エネルギーを効率よく使うために
身につけた人間の仕組みの一つです。

例えば、自分の安全のために
家に鍵をかけますよね。
何回も何万回も繰り返しているので
身体が勝手に玄関を出たら鍵をかける
というのを繰り返しています。
あまりに無意識にやっているので
たまに「あれ、今日鍵をかけてきたっけ?」
と思うことがあるくらい自動反動で
行う行動です。
(詳しくは「プログラムができるまで」をお読みください)

実はメジャーに流されるというのも
それと同じくらい
自動反応になっている方が多いのです。
それは大勢に流されておけば
そんなに悪いことにはならない、
という経験を無数に繰り返したことが
あるからだと思います。

しかし、それによって
本当の自分の考えより
メジャーを優先することで
自分の大切な尊厳の部分を損なってしまうようにも
思えるのです。

今、世の中がそんな状況に
飽き飽きしているようにも感じます。
誰かがやってくれる、と思っていると
気がつくとまた別のメジャーに
自分の思考が流されてしまうかもしれません。
本来の自分の声にしたがう人生を
歩いていきたいですよね。

ではでは

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