みなさま こんにちは
いつもお読みくださり
ありがとうございます。
うちのマンションは
人とすれ違う時
多くの人が挨拶をしてくれます。
結構気持ちいい習慣だな、と思うんですが
全く挨拶しない人も
いるんですね。
最近、そういうことが
全く気にならなかったはずなんですが
今日、出かけるときに
マンションですれ違った人にガン無視されて
妙に頭に来ました。
その人に当たったわけではないんですが
そんなにカッとすることないのに、ってくらい
プンプンしている自分がいました。
怒りのもとは
(相手が)思い通りにならない
不満でした。
まさにこのツイートの通りで
「挨拶はするべき」
という強い信念が隠れていました。
でも人は
本当に「挨拶はするべき」なんでしょうか。
自分もなんとなく人と目を合わせたくない時や
機嫌が悪い時
挨拶しないことがあります。
そんなとき、自分も誰かを同じような気持ちに
させているかもしれないのです。
それに相手が挨拶しなかったからって
自分の世界がどうなるわけでもありません。
少し冷静になってみれば
「挨拶をするべき」
というのは
ただの自分の思い込みだと気づきます。
そして挨拶しない人は
怒るためのトリガーなだけで
他にも思い通りにならないと感じていることが
いくつかあったから
挨拶しない人に出会った気もするんです。
感情は
解放されたくて
さまざまな出来事を
作ってきます。
それを抑えてしまうと
感情は満たされないので
また同じような出来事を起こして
感情を解放させようと仕掛けてくるんだと思うんですね。
かといって
相手に感情を解放したら(ここでは怒ったら)
相手に感情を感染させてしまうことになります。
感情を解放するって
自分自身の問題だと思うんですよね。
きちんと
怒ってるんだと認めて
なぜ怒りが湧いたか
理由を確認する、
怒りをきちんと感じきる、
まるで感情を生き物のように扱って
本当に真剣に関わってみると
あるとき
クレンジングオイルが肌にふっと馴染んだような
瞬間を味わえるんです。
(男性には分かりにくい事例ですいません)
それは、感情と和解したというか
仲良くなったというか
わかり合えたというか
融合したというか
そんな感じです。
今日、出かけるときに
怒りが湧いて
この「感じきる」というのを
やってから街に出たんですね。
いつもだと自分の中で
怒りの連鎖が
起きたりするのですが
街なかでそのような気持ちになることは
ありませんでした。
というか、すっかり怒ってたことを忘れていました。
感情の解放って
こういうことなんじゃないかと
思うんです。
そしてこれを
まめにしてあげることが
「自分を愛すること」
なんじゃないかと思ったんですよね。
最後までお読みくださり
ありがとうございます。
今日も素敵な1日を
お過ごしくださいね。
ではでは!
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