最近、
「大切な周りの人たちのために」
と言う言葉をよく聞きます。
これって
一見美しい言葉のように感じるのですが
何かが引っかかります。
大切な周りの人たちのため
というのは
利他的とも
自己犠牲的とも取れます。
「利他的に生きる」と
「自己犠牲をして生きる」
は同じ意味なのか、
気になったので
調べてみました。
ウィキペディアによると
利他主義(りたしゅぎ、英: altruism)とは、自己の利益よりも、他者の利益を優先する考え方。
自己犠牲(じこぎせい、self-sacrifice)とは、何らかの目的や他者のために、自己の時間・労力・身体・生命をささげること。
と出ていました。
自己犠牲には何らかの目的があるようです。
目的のために自己犠牲するのは、
長続きしなさそうですよね。
いつか不満が爆発するか、
もしくは自分が潰れてしまいそうです。
そんな犠牲を払って
目的が達成されたとしても、
自分が損をしたり、苦しい思いをしていたら
心から喜べるわけではないと思います。
「利他は“人の喜ぶ顔を見たいがために”するもので、
自己犠牲は、利他をやっている自分の姿に酔いしれてするものです」
(和田寺 遠藤住職談)
利他的になるって
結構ハードル高いですよね。
人の喜ぶ顔を見たいがためにやるには
まず自分が満たされていないと
できないことだと思います。
そんなことを考えていたら
ある方のブログに
こんなイラストがありました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20191113/10/kuni-isle/a2/21/j/o0500050014638675908.jpg?caw=800)
エネルギーが枯渇した人は、
人を大切にすることが出来ないですよね。
人のためにと思って自己犠牲したことで、
反対に欲求不満になって
欠けた部分を人から
とろうとしてしまうんだと思います。
自分が満たされていなければ、
人を愛することは出来ません。
自分を大切に出来なければ、
他の人も大切にすることが出来ないのです。
「自分を大切にしているだろうか」
「自分は満たされているだろうか」
まずはそんな自己認識から
始めたいと思います。
それが
自然と
利他的行為ができる自分に
繋がる気がするのです。
ではね!
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