そこに愛はあるのか

日々のこと

みなさま こんにちは

いつもお読みくださり
ありがとうございます。

昔、クライアントさんで
両親に
価値観を押し付けられてきたことで
苦しんでいる方がいました。


幼いころから
とにかく子供たちが
いうことを聞かないと
従うまで怒鳴ったり
制裁を加えたり
ということをされてきたのだそうです。


大人になってからは
抵抗するのも面倒で
されるがままになっていたと言います。

このように
一方的に価値観を押し付けてくる人との関係は
どこまでいっても
不和しか生みません。

そこに愛は絶対に生まれないのです。

これは
「流れる水は淀まない」という言葉があるように
エネルギー循環のないところには
偏りが生まれてしまうからです。

一方的=偏り=エゴ、
交流的=普遍性=愛
なのです。

愛ってとても
大げさな言葉のようですが
愛を想ってみると
エネルギーの対流を感じませんか?

逆に一方的なところに
その感覚は感じないと思います。


結局
相互的(交流のあるところ)にしか
愛って生まれないと思うのです。

とはいえ
まだエネルギー交流が
できるレベルになければ
お互いの平和を考えた場合、
“一方的な人からは離れる”というのは
一番かもしれません。

ですが
逃げてばかりいても
根本的な解決を
先送りにしているだけですので
その課題はいつまでも追いかけてきます。

両親との関係を逃げていると
別の関係のところで
同じような課題と直面することに
なってしまいます。

ほんとうに単純な理由があるだけなんです。

愛を基本としない限り、
何も解決しないのだと思うのです。

では愛って
そもそも
どういうことでしょうか。

それは
相手のことを主観的にみることから始まります。

→相手の目線で
→相手の立場で
→相手のつもりで
→相手の気持ちで

そして自分のことは客観的にみてみます。

→他人の立場で
→他人の目線で
→他人のつもりで
→他人の気持ちで

これは
まずやろうと努力すると
「相手の立場になんて、なってやるもんか」
という自分が出てきます。

体の中に
大きな摩擦が起こるのです。

現状維持をしようとする自分が抵抗するからです。

潜在意識は
不和の関係を維持しようとするのです。

そのことで
自分の正当性が主張できたり
相手を悪く思うことで自分を上げることができたりという
なんらかのメリットがあると思っているからです。

ですが
それでは
いつまでたっても
愛ある行動に
つながりません。

私が思うに
それでも
「やるときめて相手の立場に立ってみる」
というのが愛の第一歩です。

これをやることができると
相手が態度を変えてくるときがあります。

それこそ
交流(=愛)なのです。

自分の見える世界を変えるには
まず自分から

そして
愛ある世界を目指すのも
まずは自分からなのだと
つくづく思うのです。

ではね!

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