今日から12月
2020年、いろいろな価値観が
変わった一年でした。
一番大きいのが
「世の中嘘だらけ」
ってことに気づいたことでしょうか。
表と裏がこんなにあって
真実は闇の中なことだらけだということに
愕然とし、
自分の価値観が天変地異レベルで
崩れ落ちたのは人生初でした。
特に今年の後半は、
テレビやネットのニュースを見ると
「これは裏がありそう」
「とても表面的」
「本当かどうか疑わしい」
と、完全に猜疑心というフィルター越しに
見るようになってしまいました。
しかし、知ったところで気分的に良くないし、
周りにもいい影響を与えないなと
反省するようになり、少し考えたのです。
何を信じていいのかわからないとき
唯一信じられるのが
「今ここの自分」だけです。
今ここで見ている、聞いている、触っている
嗅いでいる、感じている感覚は
とりあえず信用できます。
信じられる世界を大切にすることで
自分を信頼できるようにもなります。
やはり信じられないものにばかり意識を向けていては
自分も信用できなくなります。
そうは言ってもついつい
「信じられない」に意識を向けてしまうーー。
そんな時に
たまたま見つけた『般若心経現代語訳』を読んでいたら
心が楽になりました。
(以下引用)
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?
誰でも幸せに生きる方法のヒントだ。もっと力を抜いて楽になるんだ。
苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。
この世は空しいモンだ、痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。
この世は変わり行くモンだ。苦を楽に変える事だって出来る。
汚れることもありゃ背負い込む事だってある。
だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。
この世がどれだけいい加減か分ったか?
苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。
見えてるものにこだわるな。聞こえるものにしがみつくな。
味や香りなんて人それぞれだろ?何のアテにもなりゃしない。
揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。それが『無』ってやつさ。
生きてりゃ色々あるさ。辛いモノを見ないようにするのは難しい。
でも、そんなもんその場に置いていけよ。
先の事は誰にも見えねぇ。無理して照らそうとしなくていいのさ。
見えない事を愉しめばいいだろ。それが生きてる実感ってヤツなんだよ。
正しく生きるのは確かに難しいかもな。
でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。
菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。
愉しんで生きる菩薩になれよ。
全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな、
適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。
勘違いするなよ。非情になれって言ってるんじゃねえ。
夢や空想や慈悲の心を忘れるな、それができりゃ涅槃はどこにだってある。
生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。
心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。この般若を覚えとけ。短い言葉だ。
意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。
苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。
嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。
今までの前置きは全部忘れても良いぜ。でも、これだけは覚えとけ。
気が向いたら呟いてみろ。心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。
いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?
『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』
『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』
心配すんな。大丈夫だ。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
(引用終わり)
これ、どなたが訳したか
不明なのだそうですが
世の中が信じられないとき
読むと心が楽になります。
と言っても
自分は最後の
「心配すんな。大丈夫だ」
しか覚えられず
そこ連呼してるだけですが
そこだけでも
パワーがある気がするのです。
価値観が大きく揺らぐとき
何かにすがりたくなるんでしょうね。
さすがの般若心経。
本当に
「ことだまのチカラ」を実感できます。
ではね!
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