自分の信じていることって
結構無意識的で
頭の片隅ですっかり忘れて
放置してあることって
あるものです、の続き
以前、集団瞑想に参加したことがありました。
それはYouTubeなどで
参加者を集め
みんなでその方の話を聞いた後で
瞑想をするというものなのですが
主催者のかた自体は
とても気の良い感じがするし、
何かの宗教に偏っている感じもしないし、
「ただ、在る」を実践するような瞑想だったので
比較的安全かと思っていました。
ですが、これも動機なのです。
それによって、解脱できるとか、
地球の波動を上げられるとか、
覚醒できるとか、
楽に生きられるとか。
集まる人が
そんな動機だったとして
1000人も2000人も集まって
瞑想を始めたら
どうなるでしょう。
自分がその言葉の意味を
本当に分かっているか
考え直してみるとゾッとしました。
仮に地球の波動を上げるために
私が瞑想したら
世界が変わるなんて思っていたら
それはとてつもない傲慢ではないでしょうか。
それがどんなに良いことのためだったとしても
集団になるエネルギーの怖さを
真摯に考える気持ちが必要だと感じたのです。
仕事で毎日
頭をフル活動している方が
寝る前に一人で
思考と距離を取るために行う
瞑想は問題ないと思います。
ですが
集団だと
思いが増幅され、無意識的に参加している方に
影響がダイレクトに入る可能性もあります。
例えば誰かが、
煩悩だけでなく全ての欲まで解脱して
生きる意欲を無くしてしまうことも
あるかもしれないのです。
集団でするよりも
どんな動機で日々暮らすかに
注意を向けることのほうが
健全な瞑想になるのではないかと思ったのでした。
ではね!
コメント