「真の自立」について考えてみる

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みなさま こんにちは

いつもお読みくださり
ありがとうございます。

最近
世の中に情報が溢れかえっていて
何を信じて良いか
わからなくなりますよね。

情報が多すぎると
人は把握しきれなくて
漠然とした不安をかかえるものです。

不安になると
権威ある人や
有名ユーチューバーに
頼りたくなったりします。

と同時に

これからは誰かに頼るんではなく
自分で考えること
自分でなんでもできることが大切だ

ということも
よく耳にします。


自立って確かに大切だと思います。

でも
今まで 自立するって

1人でなんとかしなきゃいけない
という意味だと思っていたんですが

実は

「誰かが助けてくれる
 誰かを助けてあげる
 が当たり前な状態のこと」

を自立と言うのではないかと
と思うようになりました。


それって
自立とは真逆な感じのように思えますが

依存のような助けてくれるのを期待する姿勢ではなく
信頼からくる助けてくれるだろうからやってみよう
協力からくる誰かを助けるのは当たり前
という状態自体が
真の自立なのかなと思うんですね。


そう思うようになったきっかけは、
ある人と

「ありがとうって言い合うのって
大切だよね」
っていう話をしているとき

その方が

「北海道出身の友人が
昔、北海道では“ありがとう”って
言う習慣がなかったって話を
してくれたんです。
冬の寒い環境を凌ぐのに
お互い助け合うのは当たり前で
当たり前にいちいち“ありがとう”は
つけなかったらしいです」

って話をしてくれたんですね。

最初それを聞いた時
「ありがとう」がないって
なんだか殺伐としている気がしたんですが
よくよく考えてみると
「ありがとうが当たり前」って
とても素敵な関係性だなと思うようになったんです。


つまり
本当に相手を信頼しているってことですよね。


そう考えると
自分の「ありがとう」は
見返りが含まれた「ありがとう」な気がしました。


「ありがとう」が言い合える関係って
 安心だよね。
 だからこの関係を続けていこうね」
とか

「ありがとう、って言える自分が好き」
「感謝されたい」
というような損得勘定が
働いている気がしたんです。


ということは深層心理では
握っていると言うかなんというか
相手を心から信頼できていない状態だと思ったんですね。


では
本当の意味での信頼関係って
どうしたら築けるんでしょうか。


北海道の方の例で言うなら
過酷な環境で
協力し合わなければやっていけない
というのが
あったと思います。

今、表面的には
そういう環境ではないですよね。

でも
できると思うんです。


それが
「自分からやる」
「相手がやってくれなくても
 自分はやる」
だと思うんです。


自分からしか始められません。


そしてそれが
「真の自立」
だと思ったんですよね。


なんて考えていると
これが
脳内再生される↓



「ああ、全て与えて帰ろう
 ああ、なにも持たずに帰ろう
 与えられるものこそ
 与えられたもの
 ありがとうって胸を張ろう

 待ってるからさ もう帰ろう
 幸せたえぬ場所帰ろう
 去り際の時に
 何が持っていけるの
 ひとつ一つ荷物手放そう

 憎み合いの果てに
 何が生まれるの
 私、私が先に忘れよう」

そんな感じの先にあるものーー。

それが自立な気がしたのでした。




最後までお読みくださり
ありがとうございます。

今日も素敵な1日を
お過ごしくださいね。

ではでは!

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