「自分の内面と外の世界は相似形」を少し違って解釈していた件

マインドエクササイズ

みなさま こんにちは

いつもお読みくださり
ありがとうございます。

たまにネットを見ていると
「自分の内面と外の世界は相似形だ」
という言葉を目にします。

自分の中にあるものが
外に反映されるといった意味合いですよね。

10年くらい前に
某脳機能学者の講演会に行ったことがあるのですが
その方が
「脳は自分の中にあるものしか
 認識できない」
とおっしゃっていました。

「例えば
 フランスに行って
 フランス人たちに囲まれて
 フランス語で自分の悪口を言われても
 自分がフランス語を理解できなければ
 “悪口言われてるかもな〜” 程度で
 それほど傷つかないものです。

 でも同じ内容を
 日本語で言われたら
 とても傷つくはずです。


 それは日本語を認識できるからで
 認識したものを解釈して
 感情が揺れ動くためです。


 ということは、目の前に
 とても横柄で自慢ばかりしてくる人がいたとしたら
 それをあなたが認識できている時点で
 あなたの中にも
 横柄で自慢するような要素が
 あると考えられるのです」


と言っていました。



自分の中にある要素であり
普段自分はそれを抑えているのに
目の前の人は
それをひけらかしてくる、
そんな態度に怒りが湧いたり
抵抗が起きたりするのだそうです。

自分の中で
「そんなことどうでもいいや」
と思うようになると
目の前に同じ人が現れても
気にならないので
気づかなくなって
「目の前に現れない」と
いうことになるそうです。

目の前に現れているのに
認識できないからです。

これを最近自分が認識しているもの
と言う観点で
考えてみました。

もともとですが
自分の癖として
「会話をしていると
(自分の内的思考でも一緒)
なにかしら問題意識を持ち始め
次第に批判的な言動になる」
というのがあります。

例えば
世の中、いまだにマスクをしているのは
おかしい、
というところから
だんだん思考が
批判的になっていくんです。

そうすると
外の世界で
さらに批判したくなるようなことが
起こってきます。


外界と自分の内面は相似形で
自分の思ったことはそのまま
外界に当てはまるという構図です。



で、今回気づいたのが
今までは
それが



自分のしたこと(例:批判する) ⇄  他者がすること(批判する)

自分の嫌な部分(例:文句を言う)⇄ 他者の嫌な部分(文句を言う)



このような構図
つまり
真ん中の矢印は
ある側面だけの

行って帰って
だと思っていました。

批判すると
批判される、
これだけだと思っていたんですね。


でも実は
もっと立体的だと思ったんです。

「批判する」というのは
否定的なニュアンスが強いのですが
肯定的な側面も
セットだったってことです。

ちょっと言葉では説明しにくいのですが
批判するというのは
何かの側面に過ぎなくて
与えたものが返ってくるのというのは
批判するの裏にある別の側面をふくめて
返ってきているということなんです。


肯定的なものも戻ってくるのを忘れてたーー。

肯定的な側面も相似形になって
自分に戻ってきていることが
認識できていなかったことに
気がついたんですね。

だから肯定的な側面の
恩恵は受けられずにいたのです。
戻ってきているのに、です。

ものごとは
いろいろな側面を持っています。

「批判する」
ということにも
いろいろな面があるのです。

ものごとを認識するときに
どのように捉えるかは
自分次第です。

この認識の捉え方を変えると
否定的な世界に
肯定的側面を見出すことが
できるようになります。

そして
肯定的側面を
認識しているうちに
肯定的なスパイラルが
見えるようになってくるのです。

戻ってくるんだけど
どの面を認識するかで
受け取るものが変わってくるんです。


そんなことが
まったくわかっていませんでした。

これからは
この視点を忘れずにいたいと思ったのでした。


最後までお読みくださり
ありがとうございます。

今日も素敵な1日を
お過ごしくださいね。

ではでは!

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