これからの冠婚葬祭

日々のこと

みなさま こんにちは

いつもお読みくださり
ありがとうございます。

昨日
通っていた大学のゼミ幹だったYくんから
突然電話がありました。

いまどき
電話をしてくる人ってあまりいないし
登録していない番号だったので
怪しくて
最初は出なかったのですが
何度かかかってきたので
出てみたら彼でした。

いつもヘラヘラした感じだったYくんですが
今日は少し沈んだ印象をうけました。

なんと
同じゼミ仲間だったAさんが
亡くなった
ということでした。

あまりに突然で
言葉を失ってしまいました。

Aさんは
非常に利発な女性で
某超大手航空会社に勤める
バリバリのキャリアウーマンでした。

年賀状のやりとりは
続けていたのですが
毎年、いつも海外のどこかで撮った
写真付き年賀状を送ってくれて
毎年元気そうな笑顔が印象的でした。

その彼女から
今年は年賀状が届きませんでした。

年賀状のやりとりを
止める人も多いので
やめちゃったのかと思っていました。

まさか
亡くなっているとは
思いもしませんでした。
(昨年末、亡くなっていたようです。
原因は癌が急速に進んだとか、、)

Yくんと
「何かしたいけど、どうしたものか」
という話をしたのですが

「コロナ禍だし、亡くなったのは
かなり前だし、何かすると言ってもねえ」

ということでした。

コロナで
冠婚葬祭に参加しない風潮は
顕著になっていますよね。

たしかに
明らかに義理で出ていたものへ
参加しなくてすむようになったのは
本来の冠婚葬祭の意味を問い直す意味でも
意義のあることだと思いますが

本当に何かしたい
と思ったときに
この大義名分が
ストップをかけるのではないかと
歯痒い思いを感じました。

こうやって
人との関係性が
どんどん薄くなっていくのでしょうか。

このコロナ禍で
ただ関係性が薄れていくのではなく

見直すために
コロナ禍って起きたんだと
思いたいんですよね。

今までって
冠婚葬祭が
儀礼化し過ぎていたり
負担に感じたりすることも
あったと思うのですが

家から出なくて済むようになって
なんだか冠婚葬祭まで
出不精で片付けられている気がするのです。

本当にお世話になった人には
その方に意識を向ける時間を
同じ時間を共有した仲間と
持ちたいと思いました。

それには
大きな意味では
みんなが
人類という1つの存在だという意識が
とても大切になってくる気がしています。

「誰かの幸せは、自分の幸せだし
誰かの悲しみは、自分の悲しみ」
ということに
臨場感を持っていたいと思います。


例えば、右手をケガすれば、左手でさすったり、
手当てしたりしますよね。

ケガをした右手を放っておく人はいません。

それと同じような意識で
人と接するようになれば
冠婚葬祭の質も形も
変わってくる気がするのです。


そんなことを
考えさせられました。


ではでは。


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