みなさま こんにちは
いつもお読みくださり
ありがとうございます。
たとえば
自分が
人を見下したような見方をしているのに
気がついたとします。
そんな見方をするのは
やめたいと思うのですが
瞬時に思うことなので
なかなかやめられないですよね。
人間の目というのは
脳と非常に近いところにあるため
目で見たものを認識するスピードは
非常に早いのだそうです。
なので
人やものを見る目を
変えることは
難しいのです。
ある人を見た瞬間
「かわいそう」
と脳が勝手に認識してしまう
のをやめることは困難です。
どういう目で
ものごとを見ているのか
それがそのまま
脳の認識に影響するのです。
ですが
逆に言えば
脳の認識が変われば、
目線も変わるわけです。
では、脳の認識(目線)を変えるには
どうすればよいのでしょうか。
例えば、ロシアやウクライナのニュースを見て
「どちらもヒドいなあ」
という認識を持つならば
そういう批判的な認識に
目も影響を受けているんだそうです。
人間の脳の「仕組み」は
「二極化の認識」をしがちで
目のほうも、アッという間に
「よい・悪い」というジャッジ目線になるのです。
このようなジャッジ目線のまま、
二極化した認識のまま、
例えば平和への祈りを捧げると
平和の反対にある
「戦争」という概念も
色が濃くなっていくのだそうです。
自分では
「世界のために」と思い込んでいるけれど、
実は逆効果という祈りになっていることが
あるのです。
つまり
「どうか戦争がなくなって、
平和な世界になりますように」
というような祈りは
いかにも愛にあふれて
素晴らしいようですが、
イノリが的外れになっているので
単なる自己満足になってしまいます。
自分が祈る前に
自分の中に「二極化した認識」が
残っていないか
確かめるのがポイントです。
戦争と平和という「二極化した認識」を持ったまま
「悪い戦争」から「良い平和」へと
向かわせようと頑張る祈りは
単に意識の「横スライド」
でしかないからです。
戦争から逃げたい自分の意識が
平和のほうへ横スライドしても、
ステージが変わっていないので
同レベルで
極に向かっていくだけです。
極に偏ったら
元に戻そうという力が働きます。
せっかく平和へとベクトルを向けたのに
戦争の側へと「揺り戻し」が起きるのです。
そして、現実化するーー。
このような
認識を持ったまま
一生懸命平和を祈っている人って
多いのではないでしょうか。
そんな善意が
逆効果になっている可能性もあります。
戦争VS平和
この二極化した認識を持ったままでは
二極の間にい続け、
揺れ動き続けるしかない、
ということは
一つ上のステージから
ものを見る認識をもたないと
いつまでも
この繰り返してしまうことになります。
ということは
「戦争」がなくなることをゴールにするのは
何の解決にもならないということ
ですよね。
新しいステージにいくには
二極を超えて、
この場で別ステージを創造する意識に
波長を合わせないと
いけないのではないかと
思うのです。
それは
頭で考えて
どうかしようとするのではなく
まず先に
実感ありきなのではないでしょうか。
昨日の「知る」と一緒なのですが
感じることって
とてもパワフルだと思うんですね。
次のステージを
感じて
認識をあらたにしてみるには
いい季節かもしれません。
ではね!
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