大人から見たら
たいしたことない出来事が
子どもにとっては
将来の人格形成に大きく影響する
重要な出来事になりうるという話を
前回の記事でお伝えしました。
「三つ子の魂百まで」です
言葉がわからないからこそ
感覚や六感で
確実に記憶していきます
しかも子どもの思考回路なので
そうとう「自分よがり」なのです
ですが
そんなプログラム(無意識にできた思考パターン)を
大人になってもアップデートしないで
使っている人って
結構多い気がするのです(自戒も含めて)
どうしたらそれに気づけるでしょうか?
ちょっと情けない例なのですが
先日、娘が次の日に行く
ランチのことを話していました。
私は仕事でメールを一件送らねばならず
話半分で聞いていました。
ですが
「聞いてる?」
と聞かれて
「聞いてる。大丈夫大丈夫」
と言ってしまいました。
しばらくして娘に
「明日、何時にどこに行くって言った?」
と質問されました。
ちゃんと聞いてなかった私は
「えっと何時だっけ?」
と軽く聞き返しました。
すると娘が怒り出しました。
「なんでちゃんと聞いてないのに
適当に相槌打つの?
その適当さが大嫌いなの!」
と、真っ赤になって怒っているのです。
「ごめんなさい」
私はこういうとき
素直に謝るのですが
全然悪いと思ってないんです。
娘はこっちが仕事で急いでいるって
わかっているときに限って
どうでもいいような
話をしてくるからです。
(これもパターンです)
ですので
仏頂面で
謝っていました。
それをすかさず
「そうやって全然悪いと思ってない顔で
謝るのが一番腹が立つ」
とさらにヒートアップしてきます。
私もムッとして
黙り込みました。
ここで言い争いになっても仕方がないと
我慢したのです。
すると
「何、黙っちゃってすねてるの?
ママが悪いのに」
と言います。
それを言われた途端、頭が熱くなって
怒りが湧いてきました。
「何その態度!」というようなことで
問題をすり替えようと
言葉が出かかった時、
俯瞰している自分が出てきて
「ほんとにすねてる」
と気づいたのです。
完全に5歳児のままでした。
しかし肉体は半世紀も経ているのです
ちょっと怖い気がしました。
そして
娘も5歳児のまま、
母への駆け引きをしているのがわかりました。
母が自分の話を適当に聞き流しているのが
昔から嫌だったのだと思います。
母を責めることで
自分が優位に立つことを
どこかで覚えたのだと思います。
そして私が5歳当時の娘に
言っていた通りの叱り方(私へ)を
している。
完全に「入れ子」状態です。
ちいさな日常のひとコマに
たくさんのプログラムが隠されています。
それは何度も何度も繰り返してきたために
完全に無意識にできるようになっています。
大昔のテレビ番組のギャグみたいなものです。
「カトチャンぺ」なんてもう見飽きているのに
(事例がこれしか思いつかない)
画面のカトちゃんがそのギャグをしないと
「なんで今日はやらないの」となるのと一緒です。
やらないと気持ち悪い(とも考えていないけど)
で、反射的にやる。
大昔に作ったプログラムは
アップデートが必要です。
気づいた側が態度を変えていくしかないのです
「三つ子の魂、百まで」という諺は
無意識的に生きれば、の話で
意識的になれれば
選べる可能性があると思うのです。
(魂は変わらないかもですが
磨ける、という意味で)
プログラムを更新することで
今までいがみ合うことに使っていたエネルギーを
もっと建設的なことに
使えるようにしていきたいですね。
ではね!
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