余白の意味

マンガ投稿

先日、私の描いた4コママンガを友人の画家夫妻に
見てもらう機会がありました。

そのとき
「余白を作ったり、4コマの中に
人物を入れないコマを作ったりすると
もっと見やすくなりますよ」
と教えていただきました。

確かにいろいろな4コマ漫画を見ると
余白が多くて見やすいんですね。
とても納得したので
早速描き直そうとしました。
ですが、
なぜか余白を埋めたくなります。

そこに何かプログラム
(無意識にできたパターン)
があると感じたので
記憶をたどってみることにしました。
すると幼稚園の頃のことを思い出したのです。

私が通っていた幼稚園は
かなり規則が厳しいところでした。

絵を描いていると、先生に
「白いところがないように塗りなさい」
と再三言われました。
私はそれを真面目に受け止め
一生懸命余白を埋めていました。

そこから「余白はいけないものだ」
というプログラムができたように思うのです。

当たり前ですが
余白はダメなものではありません。
ですが小さい頃の記憶の仕方により
全ての余白をダメなものとして
インプットしてしまったように思いました。

人間というのはある概念を体得するのに
無意識に「一般化」という手法を
とることがあります。
一般化とは「特殊の物・事・場合から、
普遍的な法則や概念を引き出すこと
(Oxford Languagesより)」をいいます。

このやり方は物事を理解するのに
効率が良く、カテゴリー分けもしやすいので
安心できるのだそうです。
ですが何にでもそれを当てはめてしまうと
偏った思考になりがちです。

余白をダメなものと思い込んだ
幼稚園児の自分は
いろいろなところで
余白を作らないように気をつけます。

そしてそのプログラムを
今でも抱えている気がするのです。

例えば
私は休日をダラダラと過ごすと
いけないことをしたような
気分になります。

余白は余暇という言葉があるように
休息などにも共通する概念なので
余白にいる(だらだらしている)自分は
だめだと思っている可能性も
あるように感じます。

このように
小さい頃に思い込んだプログラムを
大人になった今でも
そのまま、または拡大解釈して使って
不自由になっていることはないでしょうか。

最初にあげた事例のように
すこし窮屈そうな自分の絵は
まさにそれを体現しているようでした。

ではね!


マンガ投稿意識・無意識・プログラム
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