わかっちゃいるけどやってしまうときは

マインドエクササイズ

先日、娘と世間で話題になっている話をしていて
喧嘩(一方的にキレられる)になりました。

自分が悪いのですが
娘にとっては聞きたくもない話を
リアルに延々と話してしまったのです。

それによって
娘は嫌な気分になったと
怒りをぶつけられました。

まさにエネルギーバンパイヤなことを
してしまったのです。

でも話している時は
止められませんでした。

止められなかったということは
気がつかなかったということで

つまり無意識に話していたのです。

テレビやネットを見ていると
感情を煽るような
ニュースや情報がたくさん流されています。

それを見て
自分が知った話題を
相手と共有したい
一緒に
怒って欲しい
悲しんで欲しい
(逆もありますが)
と無性に思うことってありませんか?

もしかしたら
それが相手にとっては
「チェーンメール」や
「不幸の手紙」
のようになってしまうかもしれません。

感情や思考は
集まると大きな波になるのです。(持論ですが)

「この話を聞いたら急に悲しくなった」
「無性に誰かに話したい」

というときは
完全に自分ではない誰かの思考や感情に
流されています。

この場合
どうしたらいいのでしょう。

まず
衝動が起きた時には
それは遂行されると諦めたほうがいいと思います。

今回の私の例のように
途中で気づいてやめる
というのは
かなり難しいのです。
無意識なので
気づくこと自体が難しいからです。

その出来事を
検証し
次回に生かす題材とするしかありません。

その上で

自分が受信機として
共鳴するポイントがあったことを
まず認める必要があります。

自分もその話題を広めたい
一員であったことをまず認めるのです。

その上で
「なぜ聞いて欲しかったのか」
「本当にやめたかったのか」
考えてみます。

実はどっぷり浸かりたいと
思っていたかもしれません。

問いかけていくと
心の奥底の思わぬ声が
聞こえる時があります。

それは結構
ドロドロしているかもしれないのですが
流されて感じたり考えたりするものとは
質感が違うのです。

お腹の下の方から
納得する感覚です。

それを受け入れると
次回、同じようなことがあったとき
外部に流れている思考や感情との
区別が「少し」つくかもしれません。

本当の自分の感情と
周りに共鳴した感情の区別がつくようになるのです。

そのとき
選択権が自分にあることに
気づけるのです。

巻き込まれたいのか
一員になりたいのか

前より「少し」冷静に考えることができます。

でもまた
同じように「話したい」
と思うかもしれません。

ですが
前よりは
その衝動や回数が
減っているものなのです。

それくらい
慎重にコツコツと
本当の自分を探っていったとき

わざわざ
外部のなにかに巻き込まれたり
一員になろうと
しなくなっているものなのだと思うのです。

ではね!
















自分の中で
過去の記憶が思い出されてしまうのです。



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