傷つけられるということ

日々のこと

みなさま こんにちは

いつもお読みくださり
ありがとうございます。

娘が出かける前に
服を選んでいる時

よく私に
「これどうかな」
と聞いてくることがあります。

私は咄嗟に
結構正直に言ってしまうんですね。

「似合う」とか「似合わない」と。

で、似合わない時は
理由も言うんです。

「太って見える」とか「バランスが悪い」とか。

そうすると
「太ってるってこと?」

ってそこに突っかかってきます。

「いや、太って み・え・る だけ」

と言い返すのですが
「何で出かける直前にそんな傷つくこと言うの?」

って話になるんです。

その後
しばしの「そんなつもりはない」
「いや悪意がある」などの応酬があり
娘はそんな気持ちのまま出かけていくことになります。

そして自分は
「ああ、変なこと言って傷つけちゃったな」
と反省するんですね。

これ、完全にパターン化しているんですが

この話をAさんに話したら
「それって本当に詞緒梨さんが
娘さんを傷つけているんでしょうか」

と言われました。

私は
「娘の捉え方だとは思うのですが
自分にも非があると思うんですよね」
というと

「人の心ってね、
 傷つけることができないんですよ」

って言うんですね。

そう言われて混乱しました。

「いや、傷つけること、できるでしょ。
 実際に娘は傷ついてたし」

そんなふうに思っていたら

「例えば詞緒梨さんが言われて
傷つく言葉ってある?」

と言うので

「やつれてる」

とかですか?

というと

「娘さんはやつれてると言われて
傷つくと思う?」

というので

「いや、傷つかないと思います。
まだ若いし、何とも思わないと思います」

Aさん「つまり同じ言葉をかけられても
 傷つく人がいて、傷つかない人が
 いるということですよね。
 じゃあ一体この違いってなんだと思います?」

「自分がやつれてることを
 気にしているって ことですか?」


Aさん「そうなのよ。 つまり自分がもともと
 気にしていること、
 ”過去の傷”と言ってもいいかもね。
 それが先にあって、
 どこかで自分で自分を傷つけ続けてるのよ。


 それが、
 誰かの言動をきっかけに
 反応しちゃうのよ。


 ということは傷つけてるのは、
 自分自身なわけ

と言われ本当に目から鱗でした。

つまり

自分で自分を

傷つけ続けていた
わけです。

これを聞いてから
傷つけられたと感じる出来事や他人に対して
対処するのではなくて
自分自身の傷に気づき
考えるのを止めるのを習慣にするようにしました。

で、自分が傷つけた
傷つけられたということに
あまりこだわらなくなったら

娘があまり私の言動に
突っ掛からなくなったんですね。


それ以来

「人の心を傷つけることを恐れずに」

「人から自分の心を傷つけられることを恐れずに」

ということを気をつけるようになりました。

実は過剰な「傷つけられた」と言う思いが
そこにエネルギーを注いでいたために
パターン化していたのかもしれません。

最後までお読みくださり
ありがとうございます。

今日も素敵な1日を
お過ごしくださいね。

ではでは!

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