職業選択が大切な理由

みなさま こんにちは

いつもお読みくださり
ありがとうございます。

今日は父と妹と娘、私の4人で
ランチをしました。

そこで就職の話になり
娘が父に
「良いところに就職するって
本当に大切なんだろうか」
という質問をしたんですね。

大学2年生の後半になると
就職活動をする人もいるみたいなんですが

娘は
就職活動に長い時間を費やすことに
ちょっと疑問も持っているようでした。

父の解答は
「良いところに就職しても
倒産したり
疫病や不況で業績が悪化することもあるし、世の中のその会社に対する評価が大きく変わることもある。


それでも良いところに就職する良さは
良いところに就職した
という【自覚】をもてることだ」
というようなことを
言ってたんですね。

自覚できるって
実はすごいことだと思うんですよね。

自分はそういう人だと自覚することで

本当にそういう人になっていくと思うんです。

この話を聞いていて

昔「12人の怒れる男」

という映画を思い出しました。

この映画では

職業に人って染まっていくんだということの例が分かりやすく表現されているんですね。

あらすじは

アメリカの陪審員制度を通して父親殺しの罪に問われた少年の裁判で、陪審員が評決に達するまで一室で議論する様子を描いた物語なんですが、

集まった12人の陪審員がいろいろな職業の人たちなんですね。

陪審員1番中学校体育教師フットボールのコーチ。

この方は熱く議事を進行していきます。

陪審員2番銀行員は真面目で緻密な印象。

陪審員3番、会社経営者。息子との確執から有罪意見に固執します。

陪審員4番株式仲介人。冷静沈着な性格で論理的に有罪意見を主張します。

陪審員5番工場労働者。スラム育ちで、ナイフの使い方に関してその経験を述べます。

陪審員6番塗装工の労働者。義理、人情に篤い朴訥とした感じです。

陪審員7番食品会社セールスマン。裁判にまったく興味がありません。その場凌ぎな感じ。ヤンキースの試合を観戦予定で時間ばかり気にしているんですが、夕立で試合が流れたため面倒くさくなります。

陪審員8番建築家検察の立証に疑念を抱きます。最初から無罪を主張した唯一の人物です。

陪審員9番80前後の老人。鋭い観察眼で証人の信頼性に疑問を投げます。

陪審員10番居丈高な自動車修理工場経営者。貧困層への差別意識から有罪を主張します。

陪審員11番ユダヤ移民時計職人。強い訛りがあります。誠実で、陪審員としての責任感が強い方です。

陪審員12番広告代理店宣伝マン。スマートで社交的だが軽薄な性格で(見た目も)、何度も意見を変えます。

で、映画の中ではその職業によって考えていることが全然違い、立場によって有罪無罪の判断も変わってくるというところを発言や存在で表しているところがとても面白かったんです。

これってアメリカの、しかも1957年の話なのに今の日本にも充分当てはまると思ったんですね。

職業によってカラーができる、

その人の存在に確実に影響する、ということが実感できます。

その意味でどんな職業を選ぶか

どんな企業に入るかは

自分がどうありたいかに直結すると思うんです。

そしてそれは自覚しておいた方が良いのです。



自覚[名](スル)
 自分の置かれている位置・状態、また、自分の価値・能力などをはっきり知ること。「自覚が足りない」「体力の衰えを自覚する」
 仏語。自ら迷いを断って悟りを開くこと。

自覚しているということは

そういう人であるということと同義なのではないでしょうか?

逆に言えば

ありたい自分が明確になっていれば

その存在が多くいる場に

自分の身を置く

というのは

手っ取り早く自分を変えるのに役立つと思うのです。

場のエネルギーを借りて

ありたい自分を目指すというためにも

自分がどうありたいかを明確にしておくことは大切だと思います。

ではね!

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