対立構造が体にも現れる早春の話

意識・無意識・プログラム

みなさま こんにちは

いつもお読みくださり
ありがとうございます。

最近、
背中から首、肩にかけて
張るような凝っているような
違和感があるんですね。

とても緊張しているような
こわばった痛みがずっと続いているんです。

特に思い当たることがなくて
枕のせいかしら
と枕を買い替えたのですが
あまり効果がありませんでした。

それなのに
まだ枕のせいだと信じ
1週間で2度
枕を買い直すということを
やってしまう自分がいました。

びっくりです。
まあ、2個目も効果は感じられませんでした。


そんな折、
娘の幼稚園時代のクラスメイトの
お母様がお亡くなりになった
という話をママ友から聞きました。

詳しく原因を聞いてみると
その方はまだ50代
持病もなく元気だったそうです。
突然心臓の血管が詰まって
亡くなったということでした。

で、その話を聞いて
思わずある言葉が出そうになったんですが
慌てて飲み込みました。

そしてそのときに
なぜ体がこわばっているか
気がついたんです。

「言いたいことが言えない恐怖で
体がこわばっていた」
のです。

「言ったら変な目で見られるのではないか」
「仲間はずれにされるのではないか」

という恐怖があったんです。

このような恐れは
自分自身に発言を控えさせることになります。

言いたいことが言えない環境では
リラックスできません。

自然と身を守ろうと
体が緊張していたのだと
気がついたのです。

身を守るというのは
盾で身を守っている
兵士と一緒ですよね。

つまり
反対側の概念(世界)を
作り出し
それとの対立構造に
なっているわけです。

対立した状態からは
愛は生まれません。

何かを嫌ったり 非難ばかりしていたら
そのうちどこにも行き場が
なくなります。

幸せの範囲が
狭くなっていき
あっちに嫌いな人、 こっちにも嫌いな人となり
安心して 自分を出せる場所が
狭くなっていくのです。

それでは自ら楽園を
手放していくような
ことになってしまいます。

かといって
自分が信じていることを
いきなり気軽に発言したら
分断を産みかねない状況です。

こんなときは
どうしたら良いのでしょうか。

やはり
発言しない
ということは大切です。

こういうときに
思慮深さは
味方になるからです。

その上で
捉え方を変える
ということが
体のこわばりには
役立つと思うのです。

捉え方を変えるために
意見の違う人の立場に立って
徹底して
どうしてそのような考えを持っているのか
想像してみます。

そうすると
どちらの立場も
悪気(?)はない
ことに気づくのです。

そこで
戦っている場合ではない
ことに気づく感じです。

たぶん
「もっと危機感をもって
一緒に脱出することを考えようよ」
という話かもしれないからです。。

そうやって
その場にいるとき
肩のこわばりは
和らいでいるものかもしれません。

言うは易しで
全然実行できていませんが
少しずつ
実践していこうと
思ったのでした。


ではね!








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