雑然としていることの価値について考える

意識・無意識・プログラム

みなさま こんにちは

いつもお読みくださり
ありがとうございます。

今朝
ワークショップで
「雑然とした」というお題をテーマに
その価値について
検証してみました。

なぜこのお題にしたかというと

昨年、夫が大阪に単身赴任をしていたのですが
1月から東京勤務になり
帰ってきたんですね。

で、今、家の中に
たくさんのダブったものがあって
雑然としているんです。

ついこの環境を否定的に捉えがちですが
この雑然とした環境にも
価値があるのではないかと
思ったのです。

で、思い出したのが
ある方とのコーチングセッションのことでした。


数年前、東京駅構内のカフェで
毎週コーチングセッションを
していたことがありました。

仕事で地方に行く人
田舎から上京してきた人
家族連れ
高齢者の団体旅行者
外国人などなど

本当にいろいろな背景を抱えているであろう方々が
行き交っていました。
その中で
コーチングセッションをする
というチャレンジでした😅

最初はこんなところでできるのだろうか
と思ったのですが
始めてみると
ものすごく集中できたんですね。

さまざまな雑音から
クライアントさんの声を拾う
というのが
思った以上にゾーンに入れたんです。

いろいろなヒラメキや
答えが見えて自分でもびっくりしました。
ですが
クライアントさん自身が
あまり集中できなかったらしく
10回ほどで終了してしまいました。

この時
雑然(念)と集中は
表裏一体だと感じたんですね。
集中は雑念の中にあるーー、
そんな気がしました。

「雑然とした中で集中すると超集中力を養える」
という経験でした。

そういう意味で
雑然とした環境は
プロセスであるように感じます。

芋虫が
蝶になる過程の中で
蛹になりますが
蛹の中では
芋虫の細胞を一旦完全に分解して
ぐちゃぐちゃにした上で
再編成を行うといいます。

雑然は
その「ぐちゃぐちゃにした状態」
に似ている気がしました。

雑然とした環境って
捉え方によって
いろいろな可能性を
秘めている段階なのではないかと
思ったのでした。

ではね!

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