「言葉はその人を表す」
というくらい
人は口癖でできているように感じます。
特に日本語はたくさんの「人となり」を
表す表現ができます。
例えば「私」という言葉にも
「おれ」「ぼく」「自分」「拙者」「うち」「わたし」「あたし」など
様々な表現方法があります。
その何を使うかで
印象はまったく変わってきます。
その選択は
過去のある時に
自分が良いと思って
採用し、繰り返していくうちに
クセになったものです。
例えば、よく一緒にいた
友達が「俺」を使っていて
かっこいいから自分も言うようになったとか
転勤した先に馴染むために
「うち」を使うようになったとか
その瞬間
自分にとってプラスになると思い
繰り返しているうちに
習慣になり
人となりの一部となっているのです。
習慣化しているということは
今では無意識にしているわけです。
この「無意識に習慣化したもの」が、
自分の人生の大半を支配していて、
自分の発する言葉や行動、考え方は、
ほとんど「無意識的反応」から来ています。
そして、「無意識的反応」の積み重ねが、
自分の世界を創り出しているのです。
言葉には言霊(ことだま)が
宿っているので
良い言葉を使うようにしようと
自分の言動を見直してみたとします。
すると
不平不満や心配事を脳内再生していたり
つい、口にしてしまったりということに
気づいたとしても
なかなかすぐに変えることはできないのです。
なぜならば、無意識には、
現状を維持しようと働き続ける、
「ホメオスタシス(恒常性)」が備わっているからです。
このホメオスタシスは、
「良くも悪くも、『今の自分の状態』を守ろう」と、
健気に働き続けてくれています。
(例えば、体温や心拍数を、一定に保ってくれています)
そこで新しい「習慣」を身に付けようとすると、
「あれ?何だか様子が変だわ!
今までの自分の状態から、変わろうとしているかも!」
というふうに、
自分が「急激な変化」で
こわれてしまわないよう、
できるだけ現状の自分を保つために
引っ張り戻してくれるのです。
ではどうすれば良いか。
これは
「過去のある時に
自分が良いと思って
採用し、繰り返していくうちに
クセになったもの」
をもう一度見直してみることが
ポイントなのです。
今、自分はどう生きたいか
本当はどんな雰囲気を身に纏いたいか
それをしっかり見直して
憧れの人をモデリングしたり
自分でこういう人と決めた架空の人を採用して
繰り返していくしかありません。
そのとき
無意識はご主人様である
自分の要望を
大きなパワーで叶えてくれるのだと
思うのです。
ではね!
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