みなさま こんにちは
いつもお読みくださり
ありがとうございます。
最近忙しくなって
あまり他の方のブログを見る時間がないのですが
欠かさず読んでいるブロガーさんの記事があります。
以前にも紹介したことありますが
というブログです。
耳の痛いことも多いのですが
心のあり方を正してくれるような
本当に愛のあるブロガーさんだと思っています。
で、先日の記事で
「好き」と「愛」の違いについて
書かれているものがありました。
↑の解説(「ゆたかブログ」より)
『花』が好きな人は、安易に摘んだり、切り花にしたり、生け花にしたりします。
でも花を愛してる人は、花を殺したりしません。
『好き』は自分の都合と感情と欲望で一方的なことを平気でするのです。
でも愛してる人は『相手目線』になって、花の立場で、花の気持ちで考えているものです。
『犬や猫』などが好きな人は、何も考えずに安易に飼います。
でも犬や猫を愛してる人は、安易には飼いません。
生涯寄り添う責任と覚悟を持っているので、そう簡単に飼ったりしないものです。
自分の経済力や、健康問題、または年齢的な問題などをジックリ考慮した決断をするからです。
『肉』を好きな人が、平気で肉を食べる理由も同じです。
一方的な目線しか無いからです。
愛を理解してないからです。
ただ『肉が好き』なだけだからです。
食べられる側、殺される側の気持ちを理解してないからです。
こんなものは、ただの『エゴ』なんです。
ただの『食欲』なんです。
だから「感謝して食べればいい」などと言う人は、白々しいと言っているのです。
【地球丸ごと救いたい】ゆたかブログ https://yutakasakurazawa.blog.fc2.com/blog-entry-2698.html
うちにも切り花がありますが、、
確かに
寿命が短いんですね。
根が腐って枯れてきたら
さっさと捨てていました。
そういうことをする時
ほんの少し罪悪感があったんですが
「そういうもの」と割り切っていました。
完全に思考が麻痺していました。
肉に関しては
今はほとんど口にしませんが
それは15年ほど前
一般的な家畜の飼育場と
都内某所にある屠殺場を見学したことがあり
その時の印象が強くて
食べられなくなったからです。
ちょっとその時のことを
書きたいと思います。
気分を害するかもしれませんので
ここからはご自身の判断でお願いします。
ー・ー・ー・ー・ー・ー
まず最初に家畜を育てる牛舎の見学に行ったんですが
牛は前にも後ろにも
移動できないような小さなスペースで
ただひたすら餌を食べていました。
運動不足で病気がちになるので
抗生物質を大量に投与しているとのことでした。
担当の方がその話を淡々と説明されていて
それが印象に残っています。
で、屠殺場にバスで移動したんですが
屠殺場内に入ると
どこからか
牛がなんとも言えない悲しい声で
泣いているのが聞こえたんですね。
その時点でなんだか帰りたくなったんですが
そんなこと言える雰囲気でもなく
工場内を見学しました。
牛はベルトコンベアに乗せられて
眉間にレーザー銃を打たれると
一瞬で死んでしまいます。
そこからレーザーメスで
ピーっと
きれいに切り分けられていくんです。
その機械的で無機質、無感情、無慈悲な工程に
やっていることの空恐ろしさみたいなものを感じました。
しまいに
休憩室で出てきた食事が牛丼で。。
参加者のほとんどの方が
それに手をつけず
げっそりしていました。
でも中には
「せっかく人間のために死んでくれたんだから
感謝して食べないと失礼よ」
と言って
むしゃむしゃと牛丼を平らげている方もいました。
もう何が何だか
わからなくなりました。。
ー・ー・ー・ー・ー・ー
で、それから肉が食べられなくなったんですが
食べなくなってからの方が
健康なんですね。
持論ですが
本当に人間は肉が必要なんだろうかと思います。
ゴリラは
果物や野菜が主食で肉は食べませんが
あのガタイを維持してますよね。
人間もゴリラに近いわけで
なくても平気だと思うんです。
ゴリラがヨーロッパの動物園に初めて登場したのは19世紀の中ごろです。当時はゴリラが暗黒のジャングルにすむおそろしい動物だと考えられていたので、当然肉を好んで食べると見なされました。そのため、動物園では長い間ゴリラに肉を与えていたのです。そのため、お腹を壊したりリューマチになったりするゴリラが後を絶ちませんでした。日本でも、1950年代に初めて上野動物園にゴリラがやってきたころ、馬肉のスープを与えていました。でも実は、ゴリラは肉食ではなかったのです。
どうぶつのくに.net http://www.doubutsu-no-kuni.net/special/episode7/p3.html
個人的には
コラーゲンをサプリで取ったり
肉を食べていた時より
爪はしっかりしています。
人って自分の体の声を聴くよりも
メディアの情報や
医学の常識に耳を傾けすぎではないかと
思うんですよね。
体の声を聴くのは
自分への愛なのではないでしょうか。
好きで行うのか
愛で行うのか
自分の行為を
しっかり確認することが
結果として
世界が愛ある場所になる
第一歩なのではないかと思うんですよね。
なんだか色々考えさせられる記事で
自分の行いを振り返るいい機会になりました。
愛ある世界を真剣に
育てていきたいなと
思ったのでした。
最後までお読みくださり
ありがとうございます。
今日も素敵な1日を
お過ごしくださいね。
ではでは!
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