私事ですが
自分で書いたものに
修正を加えてもらうのが
クセになっています。
「あなたはどう思う?」
が苦手なんですね。
自分の意見なんてないんです。
どうせ訂正されるから。
自分で考えようとすると
考えてこなかった自分の中の
もう一人の自分が抵抗します。
「考えても無駄だよ、また訂正される」
とつぶやくのです。
これは日本で教育を受けた人に
ありがちな思考ではないでしょうか。
一方通行的な教育を受けて
先生から気に入られた人が
偏差値の高い学校に行き
頭の良い人と言われる世界にいると
頭の良さがなんなのかわからなくなります。
自分で考えたことが
先生の意見と合っていないと
良い成績がもらえない中に
ずーっと浸かっていると
自分で考えることをやめてしまいます。
いざ、社会に出て
自分で考えろ
と言われて
一生懸命考えて
意見を述べても
やはり上司の意にそぐわなければ
評価されません。
この世界がぐるぐるします。
繰り返すので
それは轍を作り
習慣化し、
プログラム(無意識にできた行動パターン)化します。
ですが
そろそろ自分で考えたことを
信頼してもいいのではないかと思います。
そのためには
まず無意識にしていることを
意識に浮上させなければなりません。
気づかなければ変えることはできないからです。
で、どのような思考でそれを仕上げているか
意識をしてみたら
途中までは一生懸命考えているのですが
ある程度仕上がると
「ここからは○○さんの意見を聞いて書こう」
と、適当にする傾向があることに気がつきました。
最後まで一生懸命やらないのです。
途中に
(どうせ訂正されるから)
(ま、いっか)
という無意識の呟きが
あることに気がつきました。
無意識になっていることって
普段からそこにあるのです。
今までも( )内の言葉は
ずっと繰り返されていました。
意識していない(今にいない)から
自覚ができていなかっただけのことなのです。
人は過去の経験による記憶の中か
未来の予測による想像の中に
身を置いてしまいがちです。
その時、人は無意識的なのです。
無意識に過ごす今に気づき
意識的に修正し続けることだけが
先の未来を変える唯一の方法だと思ったのでした。
ではね!
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