犠牲について考えているうちに今の大切さに気付く件

サンクスギビングワーク

みなさま こんにちは

いつもお読みくださり
ありがとうございます。

昨日の投稿の続きです。

「犠牲を払う」の価値を調べていたら
世の中のあらゆるものが
何かの犠牲のもとに存在している
という話になりまして

平飼い卵でも
商業目的で育てられている鶏は
卵を産めなくなったら
餌を与えているだけでコストがかかるから
それ以上は生きられなくさせられている
ということに気づいてしまい

結構落ち込みました。

で、どうしたら
全てのものが
安心して幸せに暮らせるか
存在の価値を感じて生きられるか
ということを
考えてみたのですが

話しているうちに

この考え方自体が
犠牲を生んでいることに
気がついたんです。

根底に
犠牲ありきな意識で
考えているんですよね。

ちょっと上から目線と言いますか

そこには
罪悪感や
自分はマシであるという選別思想や
怒りや不満が渦巻いていました。

平和を祈る時と一緒ですね。

祈ってる時って
今、平和でない世界が前提です。

人の意識が
世界を作っていくので
この捉え方だと
その世界がずっと続くことになるんです。

やはり
それを問題として捉えるのではなく
価値あるものとして捉える意識が
必要だと思うんですよね。

というと
犠牲になるものに
目を背けるのか
というふうに思われがちですが

犠牲だと思う意識が
犠牲を維持するわけで、、

と「コロンブスの卵」的な話になってしまうんですね。

自分にできることは
ミクロでみることだと思うんです。

確かに
犠牲だらけの世の中ですが
焦点を狭くとって考えたり
焦点を大きくとって見てみたりすると

犠牲の価値が見えてくるものです。

犠牲を払わせた存在にとって
目的を達成できたり、目的に近づけたりする価値は
大きいと思います。

犠牲って悪い印象がありますが
何かの目的を達成するために
必要で、犠牲になることも
もしかしたら悪いことではないのかもしれません。

これって
よく「今を生きる」ことの大切さ
って言われることにも
通じる気がするんですよね。

未来を心配したり
過去を悔やんだりすることって

とても範囲の広い土地の草むしりをしているようなものだと思うんです。

草むしりって
あちこちに手を出すと
一生懸命取っているのに
全体で見た時に
あまり成果が見られないんです。

それよりも
今立っているところ
例えば1メートル四方を
集中して徹底して取っていくと
成果って見えやすいんですよね。

人生もそうなんじゃないかと思うんです。

今あるお題に真剣に徹底して取り組むと
成果が見えてきて
それが自信になり

漠然とした不安や
自分には取り扱いが大きすぎる世間への怒りや恐怖に
囚われにくくなるのではないでしょうか。

その時
全てのものに
価値を感じるように
なれるのだと思うのです。


そう考えてたら
まさに一つ一つのお題の価値を見ていく
サンクスギビングワークの活動って
大切だと思ったんですよね。

ご興味ある方
ぜひご連絡くださいね。

というわけで
最後までお読みくださり
ありがとうございます。

今日も素敵な1日を
お過ごしください。

ではでは!

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