信じるということ

サンクスギビングワーク

みなさま こんにちは

いつもお読みくださり
ありがとうございます。

今朝、ワークショップで
「信じる」についての価値を
考えてみました。

このお題は
何回か取り上げたことがあるのですが
その度に新しい気づきがあり
「信じる」って
奥が深いと感じます。

簡単に「信じてるよ」と
使ったりしますが
結構使っている時の心理って逆説的で

信じてる
→信じようとしている
 →信じきれていない
  →どこかで疑っている

という心理が隠れているように思うんですね。


例えば
「自信を持って」って言う時

自信とは自分を信じると書きますが

自信がない状態の人に
言うじゃないですか。

母親が
「あなたを信じているわ」
と子どもにいう時も
わざわざ口にするってことは
信じようとしているんじゃないか
(つまり↑の説明=どこかで疑っている)
ことが多いんです。

今、世の中には
情報が溢れすぎていて
何を信じて良いか
わからなくなっていますよね。

「昨日、Aという説が正しいと思ったのに
今日はそれを否定するBという論文を読んだ。

と思ったらそのすぐあとで
AもBも否定する
素晴らしい動画を見る」

ということって
ありませんか?

「信じる」という概念が
揺らぐ瞬間ですよね。

信じるって
外部の何かに依存している状態
な気がするんですよね。

ベクトルが外に向いている状態なんです。

外に向いている時って
自分の中身がちょっとお留守になっている感じが
しませんか?

その感覚が
不安定さを生み
疑いが含まれてしまうんだと思うんです。

だからといって
「信じる」ことをしなければ
核は作れません。

例えば
全然自信がなくても
まずは信じる努力をするというところがないと
自信がないまま行動を起こしても
結果はうまくいかないですよね。
とにかく信じようと
努力をすることによって
道が切り開ける可能性が生まれるんです。


つまり「信じる」って
段階がある気がするんですね。

変な例ですが
一回浮気をした恋人を
信じろと言われても
なかなか難しいじゃないですか。

でも、相手と本当にやり直したいと考えるのであれば
まずは「信じる」を積み重ねるしかないんです。

「信じる」→「相手:反省している」
→「信じる」→「相手:誠実な対応をとっている」
 →「信じる」→「相手:愛しているという態度が感じられる」
  →「信じる」→「自分にも誠実さがなかったことに気づく」
   →「相手:誠実さが感じられる」

という積み重ねがあって
疑いを追い払うことができ

「信じる」が
「信じている状態」
になるんだと思うんです。

そしてそのとき
信じることは
自分自身の軸を作る
最強のツールになっている気がするのです。

ただ軸が太くなっていて
そこに何かが詰まっている感じです。

どの概念もそうですが
意味って多元的だと思うんですね。

字面で理解するのが二次元的
現実ごととして捉えるのが三次元的
その言葉の持つ永遠性について理解するのが四次元的
その言葉を自分ごととして捉えるのが五次元的
さらにその先もあると思います。

しかも
このそれぞれの次元にも
奥深さが内包している気がします。


全てのものの概念を
丁寧にみていったら
世の中もっと
深淵なもので溢れるかもしれないですね。



最後までお読みくださり
ありがとうございます。

今日も素敵な1日を
お過ごしくださいね。

ではでは!


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