以前書いた記事で
「相手に完全に愛されていると
勝手に思い込む」を
実践中、と書いたのですが
そのなかで気がついたことを
お伝えしたいと思います。
まず、街に行っても疲れにくくなりました。
例えば
エレベーターで
知らない誰かと一緒になったとき
今までは
気がつかないうちに
バリアを張るような姿勢でいたと思うんですね。
ですが
「愛されていると思い込む」と
自然と軽くリラックスしたような気分になるんです。
いちいちエレベーターに乗るだけで
バリアを張る、ということは
防御していたわけです。
ボクシングや格闘技を
想像していただければわかりますが
防御ってかなりエネルギーを消耗します。
そんなことを
外出している間ずっと
やっていれば
疲れるに決まっています。
それがなくなったので
家に帰ってからも余力があり
自分のやりたいことに
使える時間が増えました。
もう一つは
思考で人(自分も)を責めることが減りました。
防御していたので
なぜ防御するのかの説明を
頭の中でぐるぐる行って
自己正当化をしていたのですが
その必要がなくなり
思考が穏やかになったんだと思います。
そうすると
仕事が自然に動き出したり
家庭内が平和になったりしてきたのです。
なぜ「愛されていると思い込む」だけで
こんな効果が出てきたのでしょうか。
以前、逆をやったことがありました。
スピ系の本を読んでいて
「人を愛しましょう」的な
ことを言っている方がいて
一生懸命実践してみたんですね。
ですが、
疲れ切ってしまい
全然うまくいかなかったんです。
しかも
「できない自分はダメなんだ」とか
「エネルギーバンパイヤに吸われてしまった」などと
できない理由を、マイナスで都合の良い解釈で
誤魔化すことまでしていました。
人は
愛されていない(愛されているという実感がない)のに
愛そうとするのは
かなり難しいのです。
難しいことを一生懸命頑張るから
ものすごくエネルギーも消耗します。
むしろ「愛されている」
と思い込むことだけをしたほうが
やりやすいのだそうです。
「愛されている」と勝手に思い込むと
不思議なのですが
場の雰囲気が変わります。
相手がどう思っているかは
全くわからないのに
こちらがそう思うだけで
本当に変わります。
そうすると
その場がバリアを張らねばならない
戦場ではなくなるわけです。
そんなところで
盾を構える必要がなくなるのです。
「おい、盾を下ろせよ」
「お前が先に下ろせよ」
という攻防をやっているうちに
目的の階(エレベーターの例)に着くような世界で
盾を投げ捨て
告白しようとしているようなものです。
空気が変わらないわけがない。
場の空気
というのは
そこにいる人が作っています。
無意識でいると
勝手に始まる攻防戦をやめるには
意識的に動ける人の
意思の力が必要なのだと
実感しました。
これからも
続けたいなと思います。
ではね!
『人を見たら神様と思え』保江 邦夫 著 (風雲舎)
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