その先の想像力を大切にする

サンクスギビングワーク

みなさま こんにちは

いつもお読みくださり
ありがとうございます。

今朝のワークショップ
「昆虫」の価値について
いろいろ調べてみました。

うちのベランダに
この季節になると
コガネムシやカマキリなんかが
間違ってやってくるのですが
ここ数年、その数が激減したような気がします。

昆虫って
いなくなると
どうなっちゃうんだろう
と思ったもので
お題にあげてみました。


子供の頃、夏休みに
長野にある従姉弟の家に行くと
叔父さんが夜中に
林に連れて行ってくれたんですね。

林の中は
カブトムシのパラダイスで
ちょっと木の枝に懐中電灯を当てると
黒びかりする体をテラテラさせたカブトムシが
鈴なりになって動いているのが見えて
恐ろしかったものです。

今でも長野に行けば見れるのでしょうか。
甚だ疑問です。

小さい頃の経験って
そのものに対する興味を
のちのちに引き出してくれる
ツールになる気がするんですね。

私の例で言うなら
昆虫採集をすることで
籠の中の虫を
じっくりと観察していくうちに
想像力を養えると思うんです。

何を食べて生きていて
どんなところが住みやすいのか
天敵はなんなのか
など
そのものの生態を知ることで
興味関心が湧き
その経験が
生き物に対する共感力を生む気がするのです。

(昆虫を籠の中にいれて
持ち帰るというのは
今考えると人間のエゴでしかありませんが)

最近
都知事が
外苑前の銀杏の木1000本を
伐採する計画
を発表して物議を呼んでいますが

これなんか
想像力と共感力の欠如による
人間のエゴが発動した代表例のような気がします。

というのは
銀杏の木を切る先の影響に
想像力が及んでない気がするんです。


別の例なんですが
娘が通っていた小学校は
林の中にあるような
広大な敷地に校舎がぽつんとあるような
自然に囲まれた学校でした。

林の中に小さな泉があって
そこにはオタマジャクシやカエルや
たくさんの生き物が生息していました。

入学式の日には
女の子にも虫カゴが配られるんです。

で、次の日から
毎日、泉の周辺で
昆虫採集やら
基地造りやら
かくれんぼや鬼ごっこなど
いろいろな遊びが展開されます。

これが幼い頃の原体験になり
創造性って育まれると思っていたんですね。


ですがあるとき
その学校で
校舎の建て替え計画が
もちあがりました。

保護者にも
建築会社から
建築計画の説明がありました。

その学校は
小中高の一貫校で
本当にごっそり
建物を変えるような大規模な計画でした。
で、保護者の間で
自然保護は大丈夫なのか
という質問が出たんです。

建築会社の説明は
「泉周辺の林は残すので
心配いりません」
ということでした。

実際に建て替えが終了し
校舎はすっかりきれいになったのですが

先生に話を聞いてみると
年々オタマジャクシや昆虫などの生物が
減っているとおっしゃっているんですね。

生物は泉周辺のみに
巣を作ったり
卵を産んだりするわけではないですよね。

実は意外なところまで
その生息域を広げていた可能性もあるのです。

校舎の建て替えで
そんな生息域を掘り返してしまった可能性は
否定できない気がします。

外苑前の銀杏の木の伐採も
これと同じことが言える気がするんですよね。

問題は
目に見えることだけではない
と思うんです。


その先への想像力の欠如が
今の世の中を作っている気がします。

昆虫が世の中からいなくなったら
植物の交配ができなくなるので
植物が激減します。

鳥などの食べ物もなくなるので
生態系が破壊されます。

それで
人間は生きていけるんでしょうか。

そんなことを
考えてしまいました。



最後まで
お読みくださり
ありがとうございます。


今日も素敵な1日を
お過ごしくださいね。


ではでは!




これなんかも




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