みなさま こんにちは
いつもお読みくださり
ありがとうございます。
今朝、病院の待合室にいたら
5歳くらいの男の子が
受付の人に
「おはようございます」と
とてもきちんと挨拶していました。
一緒にいたお母さんは
ちょっと厳しそうな方で
ですがそんなことができる息子に
誇らしげな感じがしました。
それを見ていて自分も
子育てをしていく中で
子どもがきちんと挨拶ができるようになることって
結構大切だと思っていたことを
思い出しました。
娘に
ものごころついた頃から
「ありがとうって言おうね」
ってよく指導(?)していました。
おかげで娘は
幼稚園の年長さんの頃には
こちらから何も言わなくても
人に何かしてもらったら
すぐ
「ありがとう」と言うし
「おはよう、こんにちは」の挨拶も
積極的に言えるようになっていました。
でも
娘が中学生になったあたりから
挨拶をしない人がいると
「こっちは挨拶しているのに」とか
「なんで無視するの」
と不満を口にするようになってきたんです。
私も挨拶しない人に
あまり良い印象は持ちませんが
娘ほど怒りは湧いてきませんでした。
なんでこんなに
そこにフォーカスするんだろうと
不思議に思っていました。
で、最近
挨拶の理由に
「挨拶ができると人に良い印象を与えるから」
とか
「なにかと得だから」
という損得勘定からくる動機が潜んでいると
見返りを求めてしまうように
なることに気がついたんです。
見返り思考は
反射的な行動ですよね。
反射は対という前提があって
初めて成り立つ現象です。
これだと
「○○をしたんだから返してほしい」
という損得が対になってしまいます。
挨拶は
ただ自分が気持ちいいからやるもので
相手がするかしないかは
本来どちらでもいいはずです。
なのでそれを
小さい頃に「教える」のは実は難しいんですね。
「教える」と
つい見返りが含まれてしまうからです。
子どもが小さい頃は
親がひたすら子どもの前で
積極的に挨拶をして
そのあと気持ちよさそうにしていれば
ある程度の年齢になったとき
自然とするようになっているものだと思うんです。
ですがこのときも
「親がお手本を見せていればいつか挨拶できるようになる」
といった動機でおこなうならば
なかなか挨拶は身につかなかったり
やっぱり文句言ったりする子に
なるかもしれません。
要はどういった前提で
それをするかってことなんですよね。
そういう意味でも
どこまでも子育てというのは
親のあり方がそのまま現れるものなのだと
思うのです。
日々是勉強。。
最後までお読みくださり
ありがとうございます。
今日も素敵な1日を
お過ごしくださいね。
ではでは!
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