先日、仕事仲間の
Yさんと
ワク○○の話になりました。
いろいろな情報を
共有していたので
まさか打つとは言わないと思ったのですが
なんと予約をしていました。
今治験中だとか
副反応の方がひどい話とか
遺伝子組み換えだとか
もう一度説明したのですが
彼女から返ってきた答えは
「上層部の人たちの中には
悪い考えの人もいるかもしれないけど
ワクチンを開発した現場の人々は
本当に命を救いたいと思って作ってくれたんだと思う。
人口削減のためだなんて
話が飛びすぎじゃない?」
ということでした。
私が話した話を
なんにも聞いていなかったかのようだったんです。
なぜそういう反応になっているのか
考えてみました。
すると
「ワク○○はまだ作られたばかりで
効果は未知数だけれど
良かれと思って作っているはず」
という性善説一択から考えていることに
気がついたんです。
この枠の中から考えていると
他の可能性を考えると言う思考に
至らないのではないかと思うのです。
もちろん
この考え方は
とても素敵な考え方です。
ですが
性悪説もあるんだ、
という考えを受け入れて
初めて俯瞰した視点で物事を捉え
自分で選択することができるのでは
ないかと思うのです。
「どんな人でも
心の中に善意はあるはず」
という思い込みは
視野を狭くしてしまいます。
性善説もある
性悪説もある
その上で
自分はどうしていくかを
決めていくことが
「自分で考える」
ということだと思うのです。
ではね!
自分で考えるとはどういうことか

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