歌手の役割を通して主体性の大切さに気づく

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みなさま こんにちは

いつもお読みくださり
ありがとうございます。

先日、いつものワークショップで
「歌手」の価値について
考えてみました。

そのとき
感動する歌声の人
ということで
玉置浩二さんの名前があがったんですね。

そのつながりで、彼が「堂本兄弟」という番組で
即興で作った歌を歌うという動画を見ました。

動画の中で歌っていたのは
歌詞のないメロディだけの歌なのですが
それを聴いていた
高橋みなみさんが泣き出していました。

確かに
胸に響くんです。


で、そのまま
名曲『メロディ』を聴いたら
私も涙腺が緩んでしまいました。

なぜこんなに感動するんでしょう。
(って個人的な意見ですが)

同じ曲をどんなに上手な人が歌っても
このように心を動かされることは
ない気がします。

歌手の価値って
心を動かすことができて
聞いている側は感動を味わえることが
一番だと思ったのでした。


と、そんなことを想って
就寝したのですが

朝起きたら
目覚めた瞬間に
脳内に
『メロディ』が
自然に流れてきたのです。

脳的には
かなり印象的だったのだと思います。

自分の脳は
昨夜だけでは
情報処理できなかったようです。

そこからは自然に
この曲の歌詞にまつわる
自分の体験が
思い出されてきました。

まるで連想ゲームのようでした。

そこで気づいたのですが
歌手の価値である
「人の心を動かすことができて
聞いている側は感動を味わえること」
というのは
罪なものも含まれるのではないかと
思ったのです。

人は感動を味わうと
それをいつまでも味わっていたいと
思ってしまいます。

すると
思考は過去にとどまってしまうのです。

現実の体験
(歯を磨いたり、朝食を作ったり)
がどうしても
無意識の自動運転任せになります。

現実逃避のような形に
なってしまうんですね。

その瞬間
自分の主導が
「歌手の歌声」
ということになってしまうのです。

「自分で過去の経験を思い出す」
のと
「歌を聴くことで
過去の経験が思い出される」
のでは
主体が違う気がしませんか?

こうなると
主体の歌手の歌声に
意識が乗っ取られてしまうのです。

大袈裟なようですが
こうやって
いろいろなことに
流されているのが
人間なのではないでしょうか。

そう考えると
歌を聴くときも

「今は感動したいからどっぷり浸かろう」
「今はそんな時間ないから浸らないようにしよう」
と意識の切り替えをして
主体は明け渡さないように
気をつけたいと思ったのでした。


ではね!








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