みなさま こんにちは
いつもお読みくださり
ありがとうございます。
今朝も近所のゴミ拾いを
して来ました。
出かけるときに
もう何ヶ月も続けている活動のような気がするのに
今日が3日目っていうことに
何だか妙な気持ちがしました。
もうゴミを拾うのも慣れて
1時間近く歩くのですが
単にウォーキングするより早く感じます。
で、初日に感じたことを
先日ブログに綴ったのですが
やってみて
思ったのは
世の中にツイッターがあり続ければ
投稿するけども(苦笑)
なくても
ゴミ拾いは続けるな
ってことでした。
母の気持ちが何となくわかったのかな。。今はまだ理由が明確に言語化できませんが
吉祥寺夢ひろいhttps://springs-of-words.com/%e5%90%89%e7%a5%a5%e5%af%ba%e5%a4%a2%e6%8b%be%e3%81%84/picking_up_dreams_in_kichijoji/
とにかく清々しいものを感じた初日でした。
この明確に言語化できないけど
世の中にTwitterがなくて
特に主張する場がなくても
ゴミ拾いを続けるな、と感じた理由ですが
この時はまだ言語化できなかったんですが
なんか今日ちょっとわかった気がしたんですね。
それは
ゴミ拾いしていると
今、この瞬間にいるってことなんです。
ただウォーキングしていたり
普段家事をしていたりするときは
頭の中が未来へ行ったり
過去へ戻ったり
ちっとも目の前のことに意識がいってないんですね。
コーチングセッションや
サンクスギビングワークの時も
集中しているので
時間の経つのが早いんですが
それに体の動きがついてくると
清々しさが加わるんですね。
それが例え
道中に煙草だらけで怒りが湧いてきたりする時でも
今怒ってる感じがするんです。
過去を思い出して怒りが湧いたり
未来を心配して恐怖心を感じたり
というのとは種類が違うんですよね。
この今にいる感覚が
気持ちいいんだと思うんですよね。
だから
誰に認めてもらえなくても
ただやろうと
思うんだと思うんです。
他にも
理由がありそうですが
とりあえず今日は
そんな気がしました。
というわけで
これからも
ゴミ拾い活動を
続けていこうと思っているのですが
ゴミという言葉が
この活動にあっていないような気がしてたんですね。
で、考えていたら
ワークショップメンバーのソランさんが
「スペースワークはどうですか?」
と提案してくれました。
ゴミを拾うと
そこにスペースができますよね。
で、なぜかこの活動をすると
心もスッキリ
整理されていく気がするから
結果的にスペース(空間)を作るワーク(仕事)
ということで
「スペースワーク」
って言われて
これとてもピッタリフィットする感じがしました。
自分で考えていたら
「ゴミは嫌だから
宝拾いかなあ、とか
思い出拾いかなあ。
大谷翔平くんがゴミ拾いしてて
運拾いと言ってたけど、それじゃ真似っぽいし」
などなど
「拾う」というワードから
逃れられなかったんです。
いや、ありがたい。
というわけで
場と心にスペースを作る人=スペースワーカーとして
これからも活動を続けていこうと思います。
最後までお読みくださり
ありがとうございます。
今日も素敵な1日を
お過ごしくださいね。
ではでは!
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