「考え方」に依存しない

サンクスギビングワーク

みなさま こんにちは

いつもお読みくださり
ありがとうございます。

今朝のワークショップ
「悔しい思いをする」価値について
調べてみました。

「あのときこうしておけば良かった」

「そのときは流されて言い返せなかった」

ということって
人生の中で1度や2度は
あるのではないでしょうか。

悔しい思いをするって
辞書で調べると以下のように書いてありました。

くやし・い【悔しい/口=惜しい】

[形][文]くや・し[シク]
1 物事が思うとおりにならなかったり、はずかしめを受けたりして、あきらめがつかず、腹立たしい気持ちだ。残念でたまらない。「負けて―・い思いをする」「―・かったら見返してやれ」
2 後悔される。くやまれる。

デジタル大辞泉より

上記のような思いを、後になって残念に思うことを
「悔しい思いをする」というようです。

こんな思い、
できれば感じたくないですよね。

でも考えてみると
この思いのおかげで
多少のことでは動じない強い心がつくられたり
臨機応変に対応できる力がついたりするものだと思うんです。

また悔しい思いは、
「本来の自分ならできたはずだ」という気持ちから起こる感情なので、
心の奥底では
「自分には力がある」と思っていることがわかります。
これは
その力を発揮できるように
能力を開花させる可能性を秘めているとも考えられます。

ということは
自己肯定感を下げる概念のように見えて
実は自分の可能性を信じている
ポジティブな言葉なのかもしれません。

ですが
そうはいっても
「悔しい思いをする」というサイクルに
グルグル巻きになっている時って
苦しいですし、早く離れたいと思っちゃいます。

それに
グルグルしていたら
パターンができてしまい
繰り返すことにもつながります。

やはり
「悔しい思いをする」に依存している限り、
このサイクルからは出られない気がするのです。

これは
私が座右の銘にしている「塞翁が馬」にも共通するものでした。

塞翁が馬
さいおうがうま
人生の幸・不幸は予測しがたく、幸運も喜ぶに足らず、不幸もまた悲しむにあたらないとのたとえ。昔、中国の北辺の塞上(国境の砦(とりで))に住む一老翁の飼っていた馬が、ある日のこと胡(こ)の国に逃げたが、数か月後、胡の名馬を連れて帰ってきた。ついで翁の息子がその馬から落ちて足を折ったが、そのために息子は、のちに起こった胡人との戦いにも壮丁としての徴発を免れた、と伝える『淮南子(えなんじ)』「人間(じんかん)訓」の故事による。

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

この考えを座右の銘にしている限り
いろんな出来事が起きてきて
捉え方で乗り越えていく
という人生になる気がしませんか?

もちろんそれも良いのですが

結局
「いろんな出来事が起きてくる」
という現実を引き寄せます。

これは
「塞翁が馬」と思ったり
「悔しい思いをする」価値を見ることで
辛い現実から目を逸らすことができる
という
考え方への依存を生んでいるんだと思うんですね。

そしてすぐに癖にしようとします。

パターン化させることで
安心しようとするのです。

パターンは過去の経験からの
処方箋です。

やっぱり
その場その場で
考える力が最強なんじゃないかと
思うんです。

面倒臭いし、
怖いですけどね。

座右の銘とか
必要ないのかもしれません。

何にもこだわらず
何にも依存しない
自分さえも気にしないで

飄々と生きられたら
面白いかもしれません。


最後までお読みくださり
ありがとうございます。


今日も素敵な1日を
お過ごしくださいね。


ではでは!









癖にしやすいですね。
今までどっぷりと浸かっていたのですが、ちょっと客観的に見れるようになれてよかったです

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