「感謝」が当たり前の世界を生きる

サンクスギビングワーク

みなさま こんにちは

いつもお読みくださり
ありがとうございます。

今朝のワークショップで
「感謝」の価値について
考えてみました。

ちょうど娘が産まれた頃
「ツキを呼ぶ魔法の言葉」

という本が流行って(自分の中で笑)

これが
感謝することで
運が良くなるとか
幸せになるとか
お金持ちになれるとか書いてある系の本で

著者のそもそもの意図は


「心から感謝」がなければ雰囲気・態度・表情に出ませんので、
幸運(チャンス)はやってきません。
そして幸運を掴むための準備(努力)をしてなければ、
幸運は不運に感じます。
この本(CD)が素晴らしいのは、今まで不運と片付けられてきた
自分ではどうしようもない現象に対して、
対処療法があることを教えてくれている事です。

「ツキを呼ぶ魔法の言葉」Amazonレビューより

という「心からの感謝」がないと
チャンスはやってこないけど
とはいえ、まずは形からの「感謝」から始めても
(これが対処療法という意味だと思う)
人生は好転しますよ、
という内容でした。

ですが、
やっているうちに
どんどん自己流になっていくんですね。


次第に「感謝すれば○○になる」
という損得勘定的思考だけが
一人歩きを始めるようになってしまいました。

で、
娘にも物心ついた時から
「誰かに何かしてもらったら
 ありがとうを必ず言うのよ」
と、ことあるごとに
言っていたんです。

でも
娘にしていたのは
「しつけ」としての感謝の精神で
「心からの感謝を学ぶ」とはかなり違いました。

なので
「なんでこっちが ”ありがとう” と言ったのに
返事をしないんだ」
とか
「とりあえずお礼を言っといた方が印象がいい」
という思考になってしまうようでした。

それでも形から入るのも
大切だと思うんですね。

算数も
ひっ算って大切です。

とはいえ

改めて、
「感謝」について
いろいろ調べてみたら
今までとは
違う側面が見えてきたような気がしました。

まず感謝することの
一般的に使われている
良い面を考えてみました。

「感謝する」という概念があるおかげで
有り難みを感じていることを、相手に分かりやすく伝えられますし

社会の秩序を維持できますよね。
アカデミー賞なんてこれに溢れています。

でも
この視点で考えてみると
心からの感謝が
スペシャルなものに
感じてくるんですね。

本来は
感謝ってスペシャルなものでも
強制されるものでも
なんでもない気がするんですよね。

以前、北海道にお住まいの方が
地元では
「ありがとう」を
ほとんど使ったことがない
という話をしていました。

厳しい冬を乗り越えるために
お互い助け合うのは当たり前で
それが日常だったのだそうです。

本来は
「感謝」って
そういうものだと思うんです。

以前見た動画なんですが
こんなのがありました。

仲間を助けるのは
当たり前。

助けてもらったニワトリは
お礼言ってる気配ないけど
素敵ですよね。

この男性
お礼に竜宮城に
招待されるのを期待せず、
ただやってますよね。


こういう無償の行為が
ツイッターで
「すごい」って取り上げられるんでなく


「当たり前だ」という認識が
広がる未来って素敵だと思うんです。

「感謝なんてわざわざ言うまでもなく当たり前の世界」

それにはまず自分から。


そんな認識を持てた時間でした。

最後までお読みくださり
ありがとうございます。

今日も素敵な1日を
お過ごしくださいね。

ではでは!

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