この社会を否定していても何も変わらないことに気がついたら

情報過多な世の中で

みなさま こんにちは

いつもお読みくださり
ありがとうございます。

昨日久々に電車に乗ったんですが
カフェでも
電車内でも
どこもかしこも
相変わらずマスクをしている人が多くて
ちょっとがっかりしました。

「マスク社会、もう終わってほしい、、」

でも
この考え方が
今の社会と分離感を生んでいるんですよね。

本当の意味で
世界を変えたければ
「こうなってほしい!」
という考え方自体が
違う気がします。

「こうなってほしい」
という現実(そうでない世界)が
ずっと続いてしまうんです。

まずは設定から
見直さなければと思いました。

そこで
気づいたのが
マスクについての自分の考え方なんです。

今までは
小さな子がマスクをしている姿を見ると
「なんでこんな小さな子にマスクをつけるんだろう」
と思っていました。

マスクは百害あって一利なしだと
思ってました。(今でもかなりそうだけど)

そのことは
In Deepというブログを書いてくださっている
岡さん
という方が
論文などを引用して
すごく詳しく説明をされているんですね。

ちょっと例に挙げると

●「赤ちゃんは、周囲のさまざまな大人や子どもたちの《顔》を見て、人の表情を学び、そして、周囲の人々の《口》を見て、言語を獲得していく」→それがマスクでできなくなる

●「マスク着用義務のあるほうが、感染状況が悪くなっている」

●「100年前のスペイン風邪流行の際は、スペイン風邪自体で死者が出たのではなく
マスクによる細菌性肺炎により死者が出ている」→マスクは衛生面で問題がある

ということが書かれていて
本当にその通りだと思うんです。

ですが

それでも
今、この世界は
マスク社会だと考えた時

正論をかざして
声高に訴えても


「マスク社会が終わってほしい」
という現実(そうでない世界)が
ずっと続いてしまうだけだと
気がついたんです。

まずは設定から見直す、


つまり、そういう設定をしているわけですから
そこを変えない限り
この社会は続くわけです。


とはいえ
設定に気づいたからって
やめられるものでもありません。


それは
今の設定を否定していることになるからです。

否定していても
変わらないんですね。

まずは
今の設定の価値を
見つけていく必要があると思うんです。

その大前提として
「それは本当にそうなのか?」

という意識って
大切だと思うんですね。


どんなにそれが
今の考えでは
間違ったことに思えても
もしかしたら
それが間違っているかもしれないのです。

何が正しいか
間違っているかは
死んでみなければ
いや、死んでみても
わからないかもしれません。

30年前の常識が
今では非常識ということは
いくらでもあるのです。

そういう意味で
マスクの価値を検証しなおしてみました。

●「赤ちゃんは、周囲のさまざまな大人や子どもたちの《顔》を見て、人の表情を学び、そして、周囲の人々の《口》を見て、言語を獲得していく」→それがマスクでできなくなる

→もしかしたらマスク社会で育った子どもは人の表情を読みとれないかわりに、相手の目やオーラを見て人を見分ける第六感力が発達しているかもしれません。
それは現代人にはない新しい能力をもった人類の誕生かもしれないですよね。

●「マスク着用義務のあるほうが、感染状況が悪くなっている」

→感染することによって堂々と補助金をもらえたり、会社を休めたり、同情してもらえたり、というメリットがあるかもしれません。

●「100年前のスペイン風邪流行の際は、スペイン風邪自体で死者が出たのではなく
マスクによる細菌性肺炎により死者が出ている」→マスクは衛生面で問題がある

→これも一人ひとりで見たら弱い人は死んでしまう、ということがあるかもしれませんが
人類の存続という意味では、そんな細菌性病原菌にも強いバグった存在が生まれるチャンスかもしれません。

今、そうある価値を
受け入れることによって
初めて設定が見直され
本当の意味で強い社会が
育まれるものなのかもしれません。

そのとき
マスクなんて
しててもしてなくても
どっちでもいい
という社会が
実現しているものだと思うのです。


最後までお読みくださり
ありがとうございます。

今日も素敵な1日を
お過ごしくださいね。

ではでは!








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