生き残ることはいいことか 1

情報過多な世の中で

昨日のブログ
「生き残ることはいいことだ」
という価値観を持っていた話をしました。


そのことについて
もう少し検証してみたくなりました。

なぜなら
生き残ることが大切で
一番だと思っていると
今の世の中で
自らが
分断を作り出してしまうからです。

分断を作り出しても
今の状況は
解決できません。


そして
生き残ることが大切になりすぎると
どうしても戦いを生みます。


サバイバルゲームや
戦争など
自分の命を大切にするあまり
他の人を蹴落としてまで
という発想になりがちだからです。


以前ブログで書きましたが
戦うことは
共倒れになるだけです。

こういったとき
つい「戦ってはいけない」
と考えてしまいがちなんですが
否定はまた
分断を生んでしまいます。

意外かもしれませんが
「戦う価値を考える」と
分断ではないエネルギーが
生まれてくるのです。

「戦い」があるから
人類はここまで進化できたのではないでしょうか。

今使っている
便利なもの(電子レンジや冷蔵庫、サランラップなどなど)は
軍事開発の中から
生まれたものが多いそうです。

もし「戦い」がなかったら
危機管理能力って全く育ちませんので
ホワーンとして
自然災害に弱い存在だったかもしれません。

もしかしたら
とっくに絶滅していた可能性もあります。

また
動物レベルの思考しかできなかった
可能性もあります。

戦うことで
生き残ろうとする力も生まれたわけです。
生き残るための
さまざまな工夫もできたのです。

戦いを否定したら
戦いはダメだという戦いを
することになります。

生き残ることも否定したら
生き残る事に拘ってはいけない
という善悪の戦いを生みます。

このように
悪と考えているものの価値を見出し
理解をすると
そのことを考えたときに
自分の発するエネルギーが変わっている事に
気づくことがあります。

このエネルギーの変化が
これからの世の中で
必要になってくるんだと思うのです。

これは
バランスが鍵なのです。

ちなみに
このエネルギーがあったのが
江戸時代だったのでは
ないかな、という気がしています。
いざこざはあっても
戦争のない、
適度な刺激で
発展しつつ
過度に生きることにこだわらない
バランスの取れた世の中だったように
感じます。

反対側に存在する価値を見出すことは
理解へつながります。

たとえ自分が
どうしても受け入れられない
価値観であったとしても
理解をすると
分断のエネルギーが
和らぐのです。

「どうぞお好きになさってください」
という干渉のない状態(棲み分け)が
自然に作り出されます。

こうやって
少しずつ
分断の意識から
棲み分けの意識を
持っていきたいですよね。

続きます。








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