「漠然とした不安」への答え

サンクスギビングワーク

みなさま こんにちは

いつもお読みくださり
ありがとうございます。

今朝のワークショップ
「漠然とした不安」について
調べてみました。

今この瞬間
何も起こってないのに
ぼんやりとはっきりしない
なぜか不安に思う気持ちが
襲ってくることってありませんか?

「漠然とした不安」って
なかったら楽だろうな、と思うんですが
それって「漠然とした不安のある今の状況」を
否定していることになってしまいますよね。

否定のエネルギーって
抵抗を生みます。

抵抗は分離を生み
分離は対立を生みがちです。


もちろん対立にも
価値があります。

ですが
過剰になると
戦いになってしまい
しいては
存在自体が打ち消されてしまう世界線が
できてしまいます。

というわけで
サンクスギビングワークでは
この世に存在するすべてのものには
なんらかの価値がある
と考えるんですね。
(概念も存在すると考えます)

そうすることによって
存在は時と場合によって活用するリソースだと
自然に考えられるようになっていきます。


というわけで
「漠然とした不安」の価値を
みてみることにしました。

ですが
ちょっと考えにくかったので
「もし漠然とした不安がなかったら」を
考えてみました。

漠然とした不安がなかったら
防災用品が売れなくなりますよね。

保険がいらなくなるし
セキュリティー産業も必要なくなるし
監視カメラもいらないし
警察官もこんなに必要ないかもしれません。

そうしたら
失業者が増えてしまいます。



今のシステムは崩壊してしまいます。



今の世の中が維持されているのは
それが怖いという
潜在的な人々の思考の集積ゆえかもしれません。

では
「漠然とした不安」があるおかげで
役立っていることはなんでしょう。

今のシステムが維持できますよね。
未来に起こるかもしれない災害や事故などに対して備えられるので
安心できます。

このシステムの中の安心ですが。


で、ワークをしているうちに
実は教育というものが
不安を作り出しているのかもしれない
という話になったんですね。



教師と生徒
親と子供
上司と部下



このような上から下に教える制度って
人間だけが持つシステムだと思うんですね。

ライオンは子供に狩の仕方を
教えているように見えますが
それはそれを見ている人間が
教育というものを
知っているからであって
ライオンの親は
ただ子供の前で
やってみせているだけで
教えているとはきっと思っていないですよね。



この教えるという行為が
「教えてもらわないと
自分では何もわからない」という
自己肯定感を下げる思考につながり
教えてくれる人に
依存するようになり
さらに
「教えてもらえないと不安になる」
という仕組みを作ってしまうのではないかと
思ったのです。

本当は
ライオンのように
親の姿を見よう見まねでやってみて
そこから
「学んでいく」
という能動的な姿勢が
自己肯定感を上げていき
結果として「不安に思わなくても大丈夫」
な自分を作っていくのではないかと
思うんですね。

不必要な不安がなくなるとき
「漠然とした不安」はただの「不安」になり
シンプルに「備える」ことに活用するリソースに
なるのではないでしょうか。


どんなことでも
活用する姿勢でいると
なんだか気持ちが楽になります。

そんな気持ちって大切だと思うんです。

最後までお読みくださり
ありがとうございます。

今日も素敵な1日を
お過ごしくださいね。

ではでは!





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