「良かれと思ってする」ことの価値について

サンクスギビングワーク

みなさま こんにちは

いつもお読みくださり
ありがとうございます。

今朝のワークショップ
「良かれと思ってする」価値について
考えてみました。

たまに人に
「疲れてるみたい、大丈夫?」

と声をかけられることがあります。

そのときは
全然疲れていなくても
化粧を手抜きして
目の下にクマがあるとか
走ってきたからとか
年齢のせいでこれが通常とか
いろいろ事情はありますが

特に疲れていなかったのに
そのように声をかけられると

「ほんとは疲れてるのかなあ」とか
「老けて見えるのかな」と
気になってしまいます。

気になっても
変えられないわけですから
気分だけが
落ち込みますよね。

で、自分は言われると嫌なので
人には
言わないようにしているんです。


でもこのロジックが
自分でもわからないのですが

娘にだけは
違うんですよね。

娘がたまに
変な格好で外出しようとするんですが

流行りだからとか
世代が違うからわからないとか
そういうレベルじゃなく

あきらかに老けて見えるとか
太って見えるとか

そんな格好で
出かけようとする時
率直に意見を言ってしまいます。

「太って見えるよ」とか
「老けて見えるけど大丈夫?」とか、、

しかも
出かける直前に。

そうすると
娘はかなり傷つくようで
たいがい喧嘩になってしまうんです。

親としては
そんなことは
親しか言ってくれないわけだから
という正義感で言ってるんですが
外出する直前に
太って見えるとか
疲れて見えると
言われたら
とても気分が悪いですよね。

それなのに
言ってしまうわけで
そんな自分に一体なんなのって
ツッコミを入れたくなります。


実はこれって自分の母(娘にとっての祖母)に
私がずっとされてきたこと
なんですね。

「なんでそんなに鼻が低いのか」とか
「足が太い」とか
「髪が薄い」とか、、

母は治せないことを
言うことが多かったので
娘にはそういうことを言わないようにしよう
と思っていたんです。

でも実際自分がやってることって
母とまったく同じなんです。

治せる(太ってるとかはダイエットすれば)からって
出かける直前に言えば
治せないわけで
同じことですよね。

第一
ダイエットだって
できない心理的事情も
あったりするんです。

なのに
「親しか言ってあげられない」
という「良かれと思って」から
得意げに言っちゃうんですよね。

でも
親から言われたら
トラウマレベルで
傷つくわけです。

その良かれと思っては
必要ないんですよね。

でも
やめようと思っても
親子ゲームのようになっていて
ある種のカルマのようなもので
「やめようと思えばやめられる」
という簡単な話では
ないんです。

たぶん
私の母も
そのまた母も
同じように
容姿について
あれこれ言われてきたのではないかと
思うんです。

それは轍(わだち)のようになっていて
繰り返すことは容易にできるんです。

繰り返してきたことを
やめるのって
やめようという抑圧では
やめられないんですね。


昨日のブログにあげた
痒いときに掻かないようにすることで
掻くのは抑えられないという例と一緒で
やめようと思っても
やめられないものです。

でも掻くのを
血が出るまで掻いていい
ということでやめられるのと
同じやり方で
「お互いトラウマになるまで
言いたいことを言い合っていいよ」
というやり方でなんとかするのも
違う気がします。

実は「良かれと思ってする」ことに
すごい価値を感じているから
どこかでやめる気がないんですよね。

そのことについて考えてみました。

良かれと思ってやることって
アクションが早いんですね。

秒で動きます。

で、実はこの状態って
トライアンドエラーを
繰り返して試行錯誤している段階だと思うんです。

つまり
繰り返すというのは
ミロク
(3誕生、6維持、9破壊)
でいう
維持の状態なわけです。

変化するには
維持がなければ
変化には行けないんです。

維持(繰り返し)がいやで
そこから抜けようという
エネルギーが溜まった時
自然に変化が起きていくものだと思うのです。

そう考えると
今の状況は
いい感じで
エネルギーが
溜まってきた状態と
言えるのかもしれません。

この後の
自身の状況を
見守りたいなと
思ったのでした。

最後までお読みくださり
ありがとうございます。

今日も素敵な1日を
お過ごしくださいね。

ではでは!


















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