「足るを知る」の本来の意味を考察する

自分で考える方法

みなさま こんにちは

いつもお読みくださり
ありがとうございます。

「足るを知る」
という言葉がありますよね。

「満足する」ということですが
この 
満ち足りていることを「知る」
ということが
頭ではわかっていても
実際なかなかできていないな
と思うことがあります。

今、この瞬間
何も足りないものはないのに
心のどこかで
「何か足りないんではないか」
「これでいいのだろうか」
と思うような感覚があります。

「知る」ということを
外から得ようとすると
こんな感覚が残るんではないかと
思うのです。

例えば
「信用する」という言葉を
「信用しよう」として
「信用した気になっている」時って
信用しきれていないわけです。

「信用する」とは
自分で感じることで
信じているからわかるのではなくて
自分が基準になっているから
わかるのです。
「これ、いいな」って
感じてやっていることが
あとから「信用だった」
とわかるという感じです。

感覚が動いて
こうなった結果
その概念が来た(認識できた)
と言ったら良いのでしょうか。

「知る」も同じで

「知る」という言葉を
「知ろう」として
「知った気になっている」時って
知りきれていないわけです。


「知る」とは
自分で感じることで
知っているから知れるのではなくて
自分が基準になっているから
知れるのです。
「これ、いいな」って
感じてやっていることが
あとから「知る」
だとわかるという感じです。

本来「知る」って
外に認識できる世界を
内側から湧いたもので
「知る」ということだと
思うのです。

外にあるものを
手にとって
べたべた自分に貼り付けて
知識を得る「知る」と
「足るを知る」の「知る」
は次元が違う感じがします。

自分の内面から
湧き出てくる気づきで
満たされる感覚。

これが
「足るを知る」
の意味なのではないかと
思ったのでした。


ちょっと哲学的かな。


ではね!





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