すべては捉え方なのかもしれない

サンクスギビングワーク

みなさま こんにちは

いつもお読みくださり
ありがとうございます。

今朝のサンクスギビングワーク
「調子に乗る」価値について
考えてみました。

幼い頃
親からよく
「調子に乗るな、浮かれるな、有頂天になるな」
と言われてきましたので
とても馴染みのある言葉です。

なのでこの言葉を聞くと
出る杭扱いされ頭を打たれたような
恐怖と反省と自己否定が同時に来たような
何とも言えない気持ちになります。

調子に乗る価値って
どんなものがあるのでしょうか。

出てきたのは以下のような意見でした。

・我が道を進める

・たくさんアウトプットできる

・場が明るくなる

・まわりが落ち着ける

調子に乗っているときって
気分が高揚しているので
自分の置かれている状況が
わからなくなりがちです。

そんな状況だった経験を思い出すと
人を傷つけるような行動や発言を
繰り返していたように思います。

なんとか調子に乗る価値をひねり出してみたものの

調子に乗っている状況って
やっぱり嫌な印象ばかりなんですね。

そして調子に乗って
意識的にも無意識的にも
相手を傷つけてしまったならば
それは時間差で自分に返ってくる気がするんです。

因果応報ってのでしょうか。。

そんな話をメンバーにしたら

「そうですかねえ。

側から見たら
バチが当たるような出来事が
その人に起こっているように見えたとしても

本人がそのように感じていなければ
それは因果応報にはならないと思うんです。

全ては捉え方。

よく詞緒梨さんは
先祖代々から引き継がれてきた因習的なことを言うけど
それもそう捉えているからそうなるだけで

そんなことはないと
心から思えたら
そんなことはないんだと思うんです。

例え傍から見たらそう思えてもね」

確かに~。

例えば今回の「調子に乗る」について
自分の中に
「調子に乗って痛い目に遭った」記憶というものがあって
それに対して
「因果応報がある」とどこかで信じた記憶があるんだと思うんですね。

傍から見たら
「調子に乗っているような人」がいたとしても
その人が「因果応報がある」と信じていなければ
因果応報の出来事は起きない(というか起きても本人はそうとは思わない)わけで
すべてはその人の記憶と捉え方
だと思うんですよね。

で、その捉え方は
今までの経験から作られた
プログラム(無意識に作られたパターン)で
できていると思うんです。
(というのも捉え方ですが)

今までの自分は
すぐに「この考えは親から刷り込まれたパターンだ」
という思考になっていたのですが
これも捉え方です。

しかも
親から刷り込まれたパターンだとすることで
自分のせいではないと
責任転嫁できるんですね。

もしかしたら
こうやって気がつくことで
自分の思考はもっと自由に変えることができるのかもしれません。

それに連動して
現実も変わっていくんだと思うんです。

まさに「思考は現実化する」ですね。

それには
責任が伴うんだと思うんです。

だからみんなやりたがらないのかもしれません。

調子に乗る価値を調べているうちに
なんだか壮大な話になってしまいました。

これからも
コツコツ物事の価値を見ていきたいと思います。

最後までお読みくださり
ありがとうございます。

今日も素敵な一日を
お過ごしくださいね。

ではでは!

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