いつもお読みいただき
ありがとうございます。
「自分が得意なことをしましょう」
とか
「自分がやりたいことをしていればいいんです」
という言葉を
ネット上で見かけることがあります。
ですが
得意なこと
やりたいことがわからない
という声も
よく聞きます。
私は小さい頃
絵を描くのが本当に好きで
すきま時間があれば
絵を描いていたんですね。
その甲斐あって
小学生の頃は
絵画コンクールで
賞をもらったり
文集の表紙を描かせてもらったり
「将来はイラストレーターを目指したら」
と美術の先生にも
言われていました。
ですが、
両親は私が芸術系の進路を選ぶことに
反対していました。
「絵じゃ食べていけない」
「好きなことをして生活できるほど
人生は甘くない」
と、ことあるごとに
言われました。
中学生になる頃には
受験勉強ばかりするようになり
絵を描くことが少なくなりました。
高校受験が終わり
普通科の高校に入りました。
その学校では
1年から美術と音楽が選択制だったので
迷わず美術を取りました。
やっと少しは
得意な絵が描ける
と思っていたのですが
いざクラスに参加してみると
どの人も
自分より遥かに絵が上手だったんです。
それを見て
急にやる気を失いました。
「自分は大した絵は描けないんだ」
と思うようになり
美術の時間が苦痛になっていきました。
そうこうしているうちに
大学受験になり
私は迷わず一般的(?)な
文系学部をいくつか受けました。
ここでも自分は心理学を学びたかったのですが
いくつか受かった大学の中で
心理学部の大学は
あまり有名な大学ではありませんでした。
学部よりも
大学名で選んだほうがいい
と親に言われました。
「心理学を学びたい」
と粘ったのですが
「だったら自分で奨学金でももらって
いきなさい」
と言われ素直に諦めました。
こうして学びたくもない
経営学を学び
就職して
結婚して
私は何をしたいのか
全くわからなくなっていきました。
親を責めているわけではなく
親もまた
そうやって
自分の経験から
「良かれと思って」
やってくれてたのだと
思います。
今までは
これで一生終えることが
当たり前だったのかもしれません。
ですが
今、ネットのおかげか
自分の得意なことをしてもいい
という選択があることに
気がつける世の中になってきています。
ですが
私のように育ってきた人間には
この「選択ができることがわかる」
ということが
かえって苦しみを生む原因に
なる可能性があります。
「やりたいことがわからないこと」によって
漠然とした「やるせなさ」
が心の中に広がっていきます。
すると
この漠然とした世界が嫌で
そこからなんとか抜け出そうと
「自分が得意なこと」を探そうとします。
探して探して
いろいろなことに挑戦してみますが
なんかしっくりきません。
そうなんです。
それは探すものではないのです。
そのことに
「夢の中へ」の歌詞を読んでいて
気がつきました。
夢の中へ
作詞・作曲 井上陽水
探しものはなんですか?
見つけにくいものですか?
かばんのなかも、机の中も
探したけれど見つからないのに
まだまだ探す気ですか?
それより僕と踊りませんか?
夢の中へ 夢の中へ
行ってみたいと思いませんか?
ウフフ さあ
休むことも許されず
笑うことは止められて
這いつくばって、這いつくばって
いったい何を探しているのか
探すのをやめたとき
見つかることもよくある話で
踊りましょう 夢の中へ
行ってみたいと思いませんか?
ウフフ さあ
探し物はなんですか?
まだまだ探す気ですか?
夢の中へ 夢の中へ
行ってみたいと思いませんか?
ウフフ(夢の中へ)
ウフフ(夢の中へ)
ウフフ(夢の中へ)
さあ
夢の中って
「夢中」
とも捉えられますよね。
そう考えると
この歌詞の深い意味が
読み取れてきます。
探すのをやめた時
それはひょっこり出てきて
すでにそれに夢中になっている
のかもしれません。
ではね!
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