自分で考え、行動する勇気

自分で考える方法

私が小学校一年生の時の話です。

もう半世紀近く前のことなのですが

今でもときどき
思い出す出来事があります。

ある日の放課後
クラスのお友達(Aちゃん)と
裏庭で遊んでいました。

Aちゃんが
金網でできたフェンスを乗り越えて
外にある木の実を取りに行こう
と言い出したんです。

まず高いところが苦手だった私は
無理だと断りました。
するとAちゃんは
「そんなこともできないの?」
と言って
自分はとっととフェンスを乗り越えたんですね。

「早くきなさいよ」
とせかされて
仕方なく登り始めました。
でも、登ることはできたけど
どうしても片側の足を反対側に入れられませんでした。
そこでそのまま
降りられなくなってしまいました。

で、Aちゃんはどうしたかというと
いなくなっちゃったんです。

誰か助けを呼びにいってくれたのかと
思ったんですが
まったく帰って来る気配がありませんでした。

私はフェンスのてっぺんで号泣していました。
それは本当に恐ろしい出来事でした。

もう一生降りられないかと
思いました。

ですが、しばらくすると
大声で泣いていたのが聞こえたのか
3年生ぐらいの男子が
私を見つけて
用務員さんを呼びにいってくれたんです。

それでやっと
降りることができました。

後日、
担任の先生に呼び出されました。

当時の担任が
神経質そうな高齢の女性の先生で
まあ、怖い方でした。

「なんでフェンスに登ったの?」
と聞かれたので、私は思いっきり
Aちゃんのせいにしたんだと思います。

すると、呆れたように
「あなたはAちゃんに死ねと言われたら
死ぬの?」
と聞かれました。

私は返答に困ってしまいました。

そんな究極な質問を
小学1年生の女の子にして
どうしようっていうのだ、

と今考えると思うのですが
その当時は
もう何も言い返せず
世の中は敵だらけ
という思いを強くする
材料になっていきました。

このことは
自分の中で
いつまでも強い記憶として
残っていて
何かあるとその映像が
ありありと思い出されます。

何でかなあ、
と思っていました。

インパクトあったので
当たり前か、と思っていました。

今までは
記憶が思い返されると
その先生やAちゃんを
責めてばかりいたのですが

最近、それは
大切な何かからの
メッセージかもしれないと
思うようになりました。


「あなたは誰かに死ねと言われたら
 死ぬの?」


この言葉は
自分で考えずに
他人やメディアの情報に
振り回され
めんどくさくなると
信用できそうな人の言葉に従う自分に
そのまま突き刺さります。

誰かの意見を鵜呑みにすることは
気がついたら
命を捧げることに
なってしまう世の中かもしれません。

それは
楽かもしれませんが
死んだ時
自分を生きたと言えるかな
と考えると
疑問符がつきそうです。


自分で考えて
断る勇気


情報をきちんととって
精査する力


今、試されているような
気がします。


ではね!








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