天使と悪魔の世界から抜け出すには

二元論

みなさま こんにちは

いつもお読みくださり
ありがとうございます。

先日、家のリビングで娘が音楽を聴いていて
「昔セカオワにハマってたよね」
と言って
昔よく聴いていた曲を
流してくれました。

何曲か聴いていて
昔とは詞の解釈が違うものがあるなあ
って思ったものがありました。

いじめは正義だから 悪を懲らしめているんだぞ
そんなふうに子供に教えたのは 僕らなんだよ

中略

悪魔と天使の世界で あちらが正しいとか
こちらが間違ってるとかわからないんだ

「悪魔と天使」僕らがどちらなのかなんてさ
わかるはずもなければ解りたくもない

正義が支配する最悪な世界では
マジョリティーこそが「正しい」とみんな間違える!?

「正義」を生み出した 神様 聞こえていますか
あんなものを生み出したから みんな争うんだよ

戦うべき「悪」は自分の中にいるんだと
「世界」のせいにしちゃダメだと僕はそう思ったんだ

中略

悪魔と天使の世界でこちらが正しいとか
あちらが間違ってるとか解らないんだ
「賛成」と「反対」の間に「答」が生まれればいい
正しさを主張するだけじゃ「答」じゃないんだ

否定を否定するという僕の最大の矛盾は
僕の言葉 全てデタラメだってことになんのかな?

『天使と悪魔』深瀬慧

当時は
この詞をそのまま受け取って
「正しさを主張するだけじゃダメだよね。
まずは自分の悪をなんとかしないと」
なんて思っていたんですが

今見ると
この歌詞って
一見いいこと主張しているように思うんですが
二元論に思考が固まる気がしました。

つまりこの詞の世界観にいると
「否定を否定する矛盾というループ」から
出られないんですね。

そのうち、
「世の中矛盾だらけじゃん」
「でもこんなものだろう」
って感じであきらめたくなるんです。

イメージできないものは
現実化できないと聞いたことがあります。

というわけで
そうじゃない世界を考えてみたいと思いました。

地球って
光があれば影ができる

悪魔がいるから天使が存在する
辛いことがあるから幸せを感じられる
苦労があっての達成感
戦争があって平和のありがたさを感じられる
などなど

『マイナスなことが前提にあるプラス』という
二元論が常識となっています。

でもこれはあくまでも個人的な意見ですが
二元論じゃない世界ってのが
あると思うんですね。

つまり
二元論を超えた世界に
「無条件の幸せ」というものが
存在するんだと思うんです。

そこはただみんなが
それぞれ楽しいと思うことをして生きていて
楽しいから人にも優しくなれて
自分のできることを
お互いに提供し合う余裕が生まれ
誰かに認められるからとか
宗教的な神の恩恵を受けられるからとか
そんな損得感情を抜きにした
心からの愛に満ちた世界だと思うんですよね。

これを可能にするには
地球の常識である
二元論を疑ってみるといいと思うんです。

光があれば必ず影ができる
これは常識ですよね。

でもそれは
五感に囚われているからの常識だと思うんです。

五感というのは
人間が持つ感覚器官ですが
とはいえ目に見えるものが全てではないですよね。

実際に勘が働くとか
この場所はなんとなく落ち着かない
この人とは気が合わない
など
いろいろなところで
五感を超えた感覚を人は使っています。

そう考えると
光を当てすぎて
ハレーションを起こした世界にも
存在というものはあるわけです。

ということは
光があれば必ず影ができるわけではない
という二元論から外れた思考ができてくるようになります。

もちろん二元論が悪いわけではないです。

もう善悪とかそういう二元論を超えた思考をしてみるんです。

そうすると
「無条件の幸せ」って
存在することが腑に落ちてきます。

イメージできるものは
現実化する可能性を秘めています。

人間が体験したことのない世界への扉は
開いているんです。
ただ気づいていないだけ。

ショウジョウバエが
一生懸命出口は瓶の底にあると思い込んで
開いている口に気づいていないようなもんなんです、
今の人類は😆

なーんてことを想像し
まずはそこを目指そう!
と思ったのでした。

最後までお読みくださり
ありがとうございます。

今日も素敵な1日を
お過ごしくださいね。

ではでは!


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