ドラマチックを手放してこそ見える世界がある

サンクスギビングワーク

みなさま こんにちは

いつもお読みくださり
ありがとうございます。

今朝のワークで
「賭け事」についての
価値をいろいろ考えてみました。

賭け事っていうと
カジノやパチンコ、競馬みたいな
大人の歓楽興行的なイメージを持ちますが

トランプとかジャンケンとか
ちょっとした当たり外れを予測することなんかを含めると
小さい頃から馴染みのあることなんですよね。


で、なぜ賭けたくなるのかって考えてみたんですが
大きな喜怒哀楽を味わえて
遊びに真剣度が増すからだと思うんです。

インスタントに
ドラマチックな体験が演出できて
それにどっぷり入り込める
というのは
とても魅力的だと思います。

ですが
何かを賭けると
勝てば一見モノが増えるように思えますが
あくまでも
相手から奪い取ったものであって
全体としては
増えているわけではないんですよね。

一(いち)なるものの中で
取ったり取られたりをしているだけだと
思うんです。

何かを生み出すというのとは
ちょっと違います。

とはいえ
ドラマチックな感覚を味わえるのは
すごい価値ですよね。

でもこのドラマチックな感覚に魅力を感じるのは
実は刷り込みなのではないかと思ったんですね。

まえにも書きましたが
私たちは小さい頃から
シンデレラだの仮面ライダーだのという物語を通して
劇的に変化することへの憧れを無意識に持っているんです。

それに拍車をかけるのが
アニメで。

アニメって
実写に比べて
動きが大げさだと感じませんか?

「うおおっ」
とか
「びよーーん」
とか
「キラリーン」
とか


独り言が大げさだったり
ちょっと不思議ちゃんが当たり前な世界です。

これを物心つかない頃から
当たり前のように目にしていると

ドラマチックなことに
必要以上に魅力を感じる回路ができてしまいます。

ドラマチックが必要以上に
崇められてしまうんです。

そうすると
何もないことが
良くないことのように感じてしまいます。

アダムとイブの神話で
何もないことに耐えられず
リンゴを齧るというシーンを繰り返し見聞きすることで
読む側は何もないと退屈だと感じるように思い込んでいきます。

ですが
本当なんでしょうか。

もしかしたら
次世代の「何もない」は
私たちの知っている
「何もない」とは
ちょっと違うニュアンスのように感じるんです。


毎日が好きなことだけやれるので
他のいやなことをする必要がなくて
他にすることがない
という感じなのではないかと
思うんです。

つまり
今の世の中の価値観では
未知の世界すぎて
イマジネーションしにくいのではないかと
思うんですね。


それは穏やかで
夢中になれる
真剣な世界なのかもしれません。


世界は選べるんだと思うんです。

ディストピア(暗黒世界)も選べるし
ユートピア(地球の理想郷)も選べるんです。

つまり

全ては自分次第なのではないかと思うんです。


でもユートピアを選ぶには
ただイメージしていただけでは
現実化できません。

思考が現実化するには
間に行動が必要です。


それが
与え合うことに喜びを感じる
 ⇒自分と相手の喜びをシンクロナイズさせて喜び合う
  ⇒受け取る力を極限まで高める

ということだと思うのです。

奪い続けている限り
奪われる側ができます。

その世界はディストピアしかないというのは
もう想像がつくのではないでしょうか。

与えることで受け取ることができ
循環が生まれ
創造ができるのではないでしょうか。

というわけで
賭け事の価値から
いろいろなことが見えてきたのでした。



最後までお読みいただき
ありがとうございます。

今日も
素敵な1日をお過ごしくださいね。


ではでは!






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