人生は捉え方次第

サンクスギビングワーク

みなさま こんにちは

いつもお読みくださり
ありがとうございます。

今朝のワークショップ
「受容する」価値について
考えてみました。

ちなみに
「受容する」と「許容する」
の違いが気になったので
調べてみました。

じゅ‐よう【受容】 の解説
[名](スル)受け入れて、とりこむこと。「外国文化を―する」

デジタル大辞泉

きょ‐よう【許容】 の解説
[名](スル)そこまではよいとして認めること。大目にみること。「―の範囲をこえる量」「―しがたいミス」

デジタル大辞泉

神に受容してもらうとは
言いません。

あくまでも
赦(ゆる)しとは、
相手の罪などを免除してなかったことにする
という神と人間、人間と人間との
上下関係から生まれる言葉です。

そこに明確な
区別があるんですね。

日本人に
許容が馴染めないのは

八百万(ヤオロズ)の神
という

木にも
空にも
どこにでも
神が存在するという考えが
しっかり根付いているからではないかと
思うんですね。

どこにでも神が存在するということは
目の前の相手にも
自分自身にも
神は存在している
と思っているわけです。


分離したものではなく
一体感を感じているわけで

つまりは
取り込んでいる
(受容している)
ということだと
思うんですよね。


受容は受け入れてそれを取り込むけど
許容は認めるけど取り込んでないですよね。

許可するとか許すとか
許容は
ちょっと上からな感じで
あくまでも
分離したもの
という感じがします。

一方受容するは
それを統合とか融合させる感じですよね。

日本人って
受容が得意な人が
多いんじゃないでしょうか。

日本って
世界のあらゆる料理がありますが
イタリアンでも
中華でも
エスニック料理でも
現地の味をアレンジして
より食べやすく
独自の味にするのが上手だと思うんです。

まさに
「受け入れて、取り込む」
ですよね。


これが得意な理由って
宗教観に関係しているんじゃないかと
思うんです。

キリスト教では
神に赦しを乞いますが

受容することによって
そのものを取り込み
オリジナルなものを作り出すって
良いところだと思うんですが、

一方で飲み込まれやすく
節操がないところもあります。

最近の日本は
このマイナス面が
多く出ちゃっている感じもします。

ですが
最近思うのは

その選択は
いつでも個人に委ねられていて、
捉え方次第で
今でも持ってるリソース(受容の良さ)は
自在に使えるんじゃないかと
思うのです。

大勢に流されず
個人で選択できることを思い出すと

実は人生って捉え方次第でなんとでもなることに
驚くかもしれません。


このことについては
また書きたいと思います。


最後までお読みくださり
ありがとうございます。

今日も素敵な1日を
お過ごしくださいね。

ではでは!





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